一悟術

私と家族の物語(8)~ロボットの中の息子とドラえもん~ 

ニューヨークに引っ越した時、息子は5歳でした。
「引っ越し」という言葉の意味も分からなかったのですから、
息子にしてみたら日本からアメリカへの引っ越しは、
他の惑星に行くくらいの衝撃があったのだと思います。
しかも、アメリカでは5歳から小学校が始まるので、
息子はいきなり英語で勉強をすることになってしまいました。

日本では幼稚園でお遊戯だけしていればよかったのに、
他のアメリカ人のクラスメートと一緒に座ってABCを勉強するのですから、
最初、息子には全くわけが分かりませんでした。

先生や友達の言っていることも当然ながら理解できないので、
何度か教室から息子が脱走する騒ぎが起きました。
その度に私が校長室に呼び出され、息子を家に連れて帰ることになりました。

しばらしくして、息子の扱いに手を焼いた担任の先生が私を教室に呼びました。
そこでの息子の姿を見て愕然としました。
他の生徒たちは、先生の周りにきちんと座って話を聞いているのに、
息子は教室に置いてあるクッションの間に埋まって寝ていたのです。

先生や同級生が何を言っているのか分からない。
分からないということさえも伝えられない。
教室から抜け出すと怒られる。
そうなったら寝るしかなかったようです。

結局、私も息子と一緒に学校に通うことになりました。
息子を膝に乗せて、先生や友達が言うことを息子の耳元で全部通訳すると、
息子はやっと少しずつ教室で何が起こっているのか理解し始めました。

毎週係りが決まっていて、自分にもその係りがあると分かると、
過去の係り表を何度もめくって確認を始めました。

それから、息子が一人で座っていられるようになると、
私は毎日1メートルずつ息子から離れていきました。
そして3週間でやっと、息子は一人で学校に通えるようになりました。
しかし、息子の問題はそれだけでは終わりませんでした。
次の学年の担任の先生は息子に自閉症児の疑いをかけてきたのです。

息子は自分を対等に扱ってくれる人には心を開くのですが、
そうでない人の言うことは無視する傾向がありました。
これは当然なことなのですが、一般的には反抗的な態度に見えたようです。

この時の担任の先生は年配のベテラン教師で
息子を最初から病気だと決めつけていました。
何度も息子を精神科医に連れて行くように勧められました。
しかし、精神科で自閉症の診断が下されてしまうと
ずっとそのレッテルを貼られてしまいます。
息子の気持ちは分かっていたのですが、
その時の私には担任の先生に「息子はあなたに心を開いていません」と言う勇気もなく、
結局、「日本に帰った時に精神科に行きます」と誤魔化して切り抜けました。

そして帰国し、小学校3年生になった息子は
神奈川県の三浦市の学校に通うことになりました。
息子にとっては初めての日本の小学校でした。
小学校に行く前日に、
「なんでアメリカなんて行ったんだよ!」と息子は一晩中号泣しました。

息子はそれまで文句や愚痴を一切言いませんでしたが、
アメリカで病気扱いされたことをとてもよく理解していて、
日本の学校でも同じ扱いをされるのではないかと不安に思ったのだと思います。

そして、登校初日、担任の女性の先生に息子のアメリカでの事情を一通りお話ししました。
「先生にはお手数をおかけするかもしれないのですが・・・」と恐る恐る言うと、
先生はニッコリ笑って「楽しみです!」と言ってくださいました。

それから毎日、先生は連絡ノートで息子の様子を報告してくれました。
「今日はこれができました!」
「息子さんのアメリカの話を他の生徒もとても楽しんでいます」
「お友達みんなが息子さんのことを手伝ってくれます」
その先生は、息子を病気扱いせず、息子の個性を伸ばすように、
息子の全てを認め受け入れて接してくださいました。

アメリカでの息子は人に関心を示さず、あまり感情を出さなかったのですが、
三浦の小学校に通い始めてしばらく経つと、ある変化がありました。
家族でアニメの「ドラえもん」を見ていた時のことです。
ロボットの中に閉じ込められてしまったドラえもんが、
のび太くんたち仲間に必死で助けを叫んでも、
誰も気が付かないというシーンがありました。

どんなに叫んでも、叫んでも、誰も気がついてくれない・・・。
みんなはとうとうドラえもんを置いて、その場から去ってしまいます。
それを見た息子は目から大粒の涙をポロポロこぼしてこう言いました。

「ドラえもんがかわいそう・・・」

息子がこんな風に感情を見せたのは初めてだったので、
そんな息子を見て、私も涙が止まりませんでした。

友人にこの話をしたら、
「そのドラえもんは息子さん自身だったんじゃないの?」と言われました。

本当の自分に誰も気づいてくれない。
いくら叫んでも分かってもらえない。
そんな息子の悲しい叫びが伝わってくるようでした。

あれから息子は、のびのびと優しい子に育っています。
中学2年生になった息子の宇宙人的な個性をどうやって伸ばしていこうかと家族で思案中です(笑)
息子のように、その個性をなかなか理解されない子供たちがたくさんいるのではないかと思います。
その子供たちの才能を病気扱いするか、
個性として引き出すかは周囲の大人の目と意識にかかっています。
家族や社会でその子の才能を信じることができれば、
全ての子供が生き生きと自分らしく生きる社会が実現すると思います。

アメリカでの話の続きです。
ベテランの先生のクラスで病気扱いされた息子ですが、
次の学年に進級した初日に学校に迎えに行くと、
新しい担任の先生と手をつないでニコニコしていました。
息子にはすぐに、その先生が自分を対等に扱うと分かったようです。
その先生のクラスでとても楽しい一年を過ごし、
日本に帰国しました。

息子が小学校を卒業する時に「アメリカと日本とどっちが好き?」と聞くと、
「どっちも好き。どっちも良いよ。またニューヨークに住みたいなぁ♪」と言いました。
アメリカであれだけ親子で泣いた経験も、
息子にとっては良い思い出になってくれているようです。
これからも、そんな子供の才能を伸ばしていける家族でありたいと思います。

次回は、夫の変化についてお話しします(^^)

(向みどり http://ameblo.jp/kokorotabi/ )

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