一悟術

3.ヒーリングとリーディングを受けて改善した、精神と身体の悩み 

第3回『結婚後、幸せになるはずが・・・』

当時の私は、融通が全くきかない上に
「こうでなければならぬ」という観念が強く
何でも白黒つけるのが正義だと思っていました。

だから、常に自分にも他人にも社会にも、
ジャッジありきで生きていました。
勿論、「正しいのは私」という立ち位置です。
(育ってきた家庭環境が多分に影響しています)

子どもの頃から癖づいていた
被害者の立ち位置も加わり
人間関係が増えたことで
「何でこんなこと言われなアカンの?」と
傷つくことが多くなります。

今振り返ると
「そんなにネガティブで攻撃的なエネルギーを
被害者の立ち位置からガンガン出してたら、
そりゃ~言われるよ。」と思います。

ですから当然、人と関わると摩擦が起こります。
特に結婚後、夫とは激しくぶつかることになります。

今回は、「このまま死にたくない!」と本気で思って、
生き方を変えるきっかけとなったエピソードまでを
お話しますね。

パートナーシップについては、
次回に山場を迎えるので、
今回はサラッと流します(笑)

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結婚後、まもなく夫が起業することになりました。
初デートの時から、起業する夢を語っていたので
びっくりすることもなく、すんなり受け入れました。

ただ、ことあるごとに意見がぶつかり
「誰にモノ言ってんねん!何様じゃ!」
と言われるようになります。

当時の彼にしてみれば、
女が男に意見するのは考えられない、
という感じだったのかもしれません。

でもね「俺に意見できる人やと思ったから選んだ」
って言ってたんですけどねぇ(ーoー;)

*********

準備期間を経て、本格的に会社を立ち上げて
一緒に経営するようになると
益々喧嘩が絶えなくなりました。

当時の私は、
リーディングできるとは思っていなかったので
「なんでこんな事も分からないの?」
と思いながら彼に話をし

彼は「そんなこと何で分かるねん?何言ってるか分からん!」
というやりとりから、喧嘩へとエスカレートしていきました。

何かにつけて、ごちゃごちゃ口うるさく言う私に対して、
感情的になった彼が罵倒しだし、私が理詰めで応戦する
という日々を過ごしていました。

二人とも口がたつので、夜中まで怒鳴り合う事も
珍しくありませんでした。

安心して暮らせるはずだった新しい家庭は
「帰宅後、玄関入ったらゴングが鳴る家」

になっていました。

*********

付き合っている時に優しかった彼は、
起業のプレッシャーから、
横暴な夫に変容していきました。
加えて、経営の大変さや家庭内のバトルだけでなく
社内でも胃がキリキリすることが増えていきました。

「跡取りは、家族全員の面倒を見るのが当たり前」
という考えのお姑さんや小姑さん達。
相変わらずの兄や母。

起業当時、ガレージから始まった会社が、
事務所や工場を借りれるほど成長した頃には
義妹、実兄、母、義姉が
会社で働くようになっていました。

慣れない経理に加え、接待や値段の交渉
苦情の対応、夫の実家の用事、実家からの呼び出しなど…
「これはあんたが(嫁だから・娘だから)することよ!」 と
言われるたびに、認められたい一心で、
必死に応えようとしていました。

睡眠時間も減っていき、頑張れば頑張るほど
なぜか夫からも身内からも、風当たりがどんどん
強くなっていきました。

「こんなに頑張っているのになんで?」
「どれだけ頑張れば、みんな認めてくれるの?」
という悔しさが積もっていきました。

*********

結婚したら、安心して暮らせると思っていたのが
要求してくる人が倍以上増えただけでした。
だんだん体に症状が現れてきましたが
ゆっくり休むこともできず、
とうとう、結婚3年目に鬱が再発しました。

今度は、全く起き上がれなくなりました。
同時に「夫に殺される!」という被害妄想から
部屋に閉じ篭る生活が続き、見かねた兄に
病院に連れて行かれました。

診察後、入院することになり、
会社が倒産危機に陥るまでの4ヶ月半、
入院生活を経験します。

入院中も夫や母が
私に対して態度を変えることはありませんでした。

同時期に家を出て行った父が実家に戻ってきたりして
ややこしい時期でもありました。
父との関係は、コチラへ↓
http://ameblo.jp/mufoo/entry-11959708676.html

*********

退院後は別の病院に通院しながら自宅療養していました。
先に退院した人達から「退院してからが大変だよ」と
聞いていましたが、本当にそうでした。

パニック発作や自殺念慮が強くなったりで
薬の量が増え、強い薬に変えられ
意識がボーッとした状態の生活をおくるようになっていました。

入院仲間は、次々に精神障害者手帳を受け取っていて
「あなただったら貰えるよ」と勧められたのですが、
自分にレッテルを貼りたくないのと
「これを受け取ってしまったら、もう変われない」
という思いが強かったので、申請はしませんでした。

でも、気持ちは荒んでいきます。

病気になって入院しても、
私を心配してくれる人はいない・・・。
どうしたら、辛い気持ちを分かってもらえるんだろう。
死ねば分かってくれるのかな?
という思いが強くなっていきました。

*********

薬の副作用だったのでしょう、
いつからか分かりませんが、
全く起き上がれなくなっていて、

食べ物も食べてなかったようで
心配した母が私を実家へ連れて帰りました。
(この辺りの記憶がないので聞いた話です)

いつの間にか、体重が15キロ以上も落ちていて
全く何も食べられなくなっていました。
水を飲んでも吐き出すほどで、
さすがに、その状態がショックだったのか、
今でも当時の場面を鮮明に覚えています。

「このまま死にたくない!悔しすぎる!」と
ムクムクと怒りのような思いが湧いてきました。

その怒りのエネルギーが意識をしっかりさせてくれたので
思い切って、薬を断つことに決めました。
禁断症状のような発作に苦しみ
眠れない日が続きましたが
1ヶ月くらい経つと、付き添いが必要でしたが
お風呂に入れたり、散歩ができるようになりました。

*********

元気になってきたのは良いのですが、
私が元気になるにつれて
母や夫からの要求が、
また私に向けられるようになります。

元気になってきたとはいえ
座って過ごすのも辛い日が続いていたそんなある日、
母から実家に来るよう電話がありました。

「しんどいから行けない」と言うと、
「しんどいなら尚のこと、実家でゆっくりすれば良い。
兄を迎えにいかせるから」と言ってくれた言葉に、
しんどさから
弱気になっていたんでしょうね
ホロっと気持ちが傾いて
「分かった。待ってる」と答えていました。
(母からの愛情を期待していたんだと思います)

*********

実家に着いても、
壁にもたれて座っているのもしんどくて
私の状態をそっちのけで、
機関銃のように喋り続けている母の言葉を
ぼーっと聞き流していました。

夫も仕事が終わってから、
実家で一緒に晩ご飯を食べる予定になっていたので
帰りたくても夫が来るまでは帰れません。

「やっぱり、ゆっくりさせてくれへんやん」
と心の中で、訪れた事を後悔していた時
「聞いてんのんかー!」という怒号と共に、
ビールをぶっかけられていました。

物が飛んでくる事は珍しくありませんでしたが
心身共にヘトヘトになっていたことと、
優しい言葉に引っかかった自分に落ち込んでいた時の
ビールぶっかけだったので、私の中の何かが、
<プツン!>と切れました。

何を言ったかは忘れたのですが
そのまま家を飛び出し
泣きながら暗い夜道をテクテクと歩いて
明るい国道に出るまでに、
気持ちを落ち着けようとしていました。

当時の夫は、私にとって味方ではなかったので
夫にヘルプ電話をする気になれず
タクシーを拾って家に帰る事にしました。

やっと乗車できたタクシーの中で、
「このまま母と関わっていたら殺される。
絶縁しないと、この先はない」と
現実を認めることができました。
この日、母との決別を固く誓ったのでした。

*********

湿った髪や服から漂ってくるビールの匂いに
折れてしまいそうな心を奮い立たせるため
自分を両手でギュッと抱きしめていましたが
意外に冷静に、これからの事を
考えようとしている自分もいました。
(運転手に気を使って、
冷静さを装っていただけかもしれませんが)

絶縁を誓ったものの、
支配欲の強い癒着関係の母との絶縁は
簡単にはいきませんでした。

新たな戦いが始まります。(またかい!)

ただ、今までの戦いとの違いは、
モンスター化した母だけでなく、
夫との関係悪化も重なり
自分の依存心との戦いになるということです。

(つづく)

(無風涼 http://profile.ameba.jp/mufoo/ )

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