一悟術

4.ヒーリングとリーディングを受けて改善した、精神と身体の悩み 

『依存から精神的自立への一歩』

「親から本当は愛されていたんだ」
と認められることで、精神的自立への一歩に
繋がることがありますが、私にとっては
「親から愛されていなかった」
と認めることが、精神的自立への一歩に繋がりました。

今回は、母との癒着関係が、なぜ永きに渡ったのか。
その原因と、癒着関係に決着をつけて
自分の人生を歩き始めるまでのお話です。

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幼少の頃の母を思い出すと
悲しそうな表情の疲れた母が浮かんできます。

母はとても頑張り屋で、
父の安月給では購入できないであろう
新築一戸建ての家を無理して購入し
ローンを払うため、私が3歳の頃から
毎日夜遅くまで内職をしていました。

数年後、内職やパートでは賃金が安いからと
パートや子育てをしながら資格を取得して
私が小学1年生の頃には、
街へ働きに出るようになりました。

当時は、共働きの家が少なかったので
夕方になると、お母さんが迎えにきて
友達は次々、先に家へ帰ってしまいます。
仕方ないので、一人公園に残って遊んだり
暗い家に入れなくて、兄が帰宅するのを
玄関先で待っていた事もありました。

寂しさと母の関心をひきたくて、
家事を積極的に手伝ったり
良い成績を取ったり、お小遣いを貯めて
プレゼントを贈ったりしていました。

でも、母の関心はどんどん外へ向いていきました。

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母と父の夫婦仲は結婚当初から破綻していたようで
「喫茶店でお茶を飲む事さえ不良のすること」と思っていた
生真面目だった母が、街へ働きに出たのをキッカケに
外に癒しを求めるようになりました。

母に異変が起こったのは、その頃からでした。
それまでも厳しい母でしたが、暴力を振るったり
ののしったりすることは、殆どありませんでした。

今思えば、自分自身を裏切ってしまった事で
罪悪感から人格が壊れていったのでしょう。

怒りを抑えることができず暴力的になったり
大声でわめき散らしたりすることが
だんだん増えていきました。

ある夜、矛先が私に向き
成績が悪かった事に激怒して、
「勉強せーへんねやったら、みんな捨ててしまえ!」と
勉強机の物を怒鳴り散らしながら部屋中にばらまきました。

荒れ狂った母の姿に恐れ戦き
自分の物が無惨に壊されていくのがショックで
声も出ませんでした。

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ニュースなどで、
虐待されている子どもが逃げないのはなぜか
ある程度の年になれば、周りに助けを求められるのでは
とコメントされる方がいらっしゃいますが

何歳になっても難しいものです。

親にされている事を他人に話すということは
大切にされていない、愛されていないと
認める事になります。そんな辛い事を認めるくらいなら
「自分が悪い」と責めて、親の言いなりになっている方が
無意識にましだと思っているからです。

今でこそホットラインがあるほど
虐待されている子どもがこの世に多く存在していると
認知されていますが、
何年か前までは、まず信じてもらえません。

当時は学校の先生も信じてくれませんでした。

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小学5年生の時、SOSの気持ちを込めて
「母にガラスのコップを投げられて、
膝がパックリ割れたから
プールの時間は休みます」と
恥ずかしさをこらえながら話すと
「なんてひどい嘘をつくの!」と逆に怒られました。

「母親がそんな事をするはずがない!
もしそんな大怪我をしていたら
病院に連れて行ってもらってるはずだ!」と。

先生の意見はもっともでした。

私の膝には兄が貼ってくれた絆創膏だけだったので
信じてもらえなかったのでしょう。

人は、自分の理解の範疇を超えることには
恐怖が湧いて受け入れられないということを
後になって理解しました。

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母と癒着関係になったのは、
こういった暴力を毎日振るわれていたわけでは
なかったからだと思います。

いつ怒りだすか分からないのは日常でしたが
一緒にテレビ番組を見て笑って過ごした事もありました。
そんな、のどかな時間と
「お前なんか欲しくなかった!」とののしられる時間が
折まぜられていたからだと思います。

私も年頃になると、「此の親にして此の子あり」
という感じで、口がたったので、
母に殴られようが、自分が正しいと思ったら
一歩も引かない面がありました。
だから余計、母にとっては憎らしかったのだと思います。

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ケラケラと子どものように笑っている母の顔を見ると
ずっとこの時間が続けば良いのにと願っていました。

そんな緊張感漂う毎日が長年続くことで
願望が強くなっていたのでしょう
「私の家庭は普通」
「私達は仲の良い母娘」
と思い込むようになっていました。

でも、結婚して母のように責任転嫁してくる人が増えた事で
心身がもたなくなり、とうとう決断を迫られたわけです。

<母親の奴隷 になりますか?>
<自分の人生 を生きますか?>

あの夜に(コラム第3回参照)、
一人っきりになっても、
自分の人生を生きようと決めたのでした。

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いつかは認められるはず。
愛してもらえるはず。と
期待しながら30年近く生きてきたので、
決めたとはいえ、母に期待する想いを
すぐにゼロにはできませんでした。

何事もなかったように電話をしてきた母に対して、
どれだけ、子どもの頃から辛い思いをしてきたか
どれだけ愛して欲しかったか
自分の思いをぶつけてしまいました。

こんなに辛かったのだと伝えたんだから
「お母さんが悪かったね。ごめんね。」という
言葉を待っていたのだと思います。
でも期待は大きく裏切られました。

母から返ってきた言葉は
「殺されんかっただけましやろ!」
でした。

あまりのショックで
その後のことは覚えていません。

当時、喧嘩ばかりで関係が悪くなっていた夫が
仕事から帰ってきた時、私の様子にビックリして
肩を抱いて一緒に泣いてくれた事を覚えています。

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母との関わりを拒絶した事で
「死んだら枕元に化けてでてやる!呪ってやる!」と
たびたび留守電に入れられたり、
玄関前で騒がれた事もありましたが
数ヶ月経つと諦めたようで静かになりました。

これで安心して暮らせる・・・とはいかず、
今度は夫婦仲がどんどん悪くなっていきました。

いつ離婚してもおかしくない。
でも働けないのに実家にも帰れない。
自分でなんとかしなきゃという焦りが募っていきました。

そんな時、久しぶりに友達に誘われて
街へ食事にでかけることになりました。

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悩んでいた私を見かねたのでしょう
「占いでみてもらおうよ」と言われて
占いの館のような場所へ連れていってくれました。

たまたま席が空いていた占い師に見てもらうと、
「絶対同居はダメ!旦那さんの家族と同居したら早死にするよ」
「今年始めた事が一生の仕事になるよ」と
言われました。

ちょうど、実家の横に建て始めていた同居用の
家の工事を隣の家ともめて止められていたので
「ありがたい偶然だな」と思いました。

今年始めた事が仕事になるなら
以前から興味があった事を勉強したいと思いました。

それが心理カウンセリングでした。

いつも同じような人間関係のパターンになるのはなぜか?
多くの人と違うことが気になったり、
先の事が分かったりするのが理解できなかったこともあり
私の頭の中はいったいどうなってるんだ?
という疑問を解きたいと思ったからでした。

(つづく)

(無風涼 http://profile.ameba.jp/mufoo/ )

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