一悟術

1.自己肯定感 

「自己肯定感」~私の変化~

ヒーラーの永田雅宏と申します。
先月末に東京から神奈川県の江ノ島に引っ越しました。

夏は大変賑わう海辺の町ですが、秋は落ち着いた風情もあり
平日でも浜辺でボーっと海を眺めている人達がたくさんいる。
そんな場所です。

ヒーリングを受けに来たクライアントさんにとって
日常を離れて普段の自分やこれまでの人生の歩みを
振り返って頂くにはとってもいい土地ではないかと思います。

今回は私自身が過去を振り返り 自己肯定感が大きく変化した体験を
2回の掲載で書かせて頂きたいと思います。

■自己肯定感と宗教

私も含め多くの人が「世の中・生きるとはこういうものだ」という考えや
観念を持っています。

それは生まれた国や所属する集団によって大きく異なりますが、道徳やマナーも
含まれると考えれば、人間が社会生活を営む上ではある程度は必要でしょう。

中でも端的に分かりやすいものの一つが、私は宗教ではないかと思います。

「パーティで政治と宗教の話しはタブー」と言われます。

世の中にはいろんな考えの人がいます。
特定の宗教の悪口を言ってしまうようなことがあれば
不快に思われる人がいるかもしれません。

だから私もあまりこの話題に触れることはありませんでした。

でも私にとって宗教と自己肯定感とは結びつきが強いもの。

もしかすると中には不快に思われる方がいるかもしれませんが
私の自己肯定感の変化と切っても切れない関係があるので
今回敢えて書かせて頂きたいと思います。

■幼少期の私

大きな声をあげて父が母をなじっている。
母は少し反発するがすぐにやりこめられてしまう。

幼少期の私の家庭はいつもそんな感じでした。

当時の父は仕事がうまくいってなかった。
家ではいつもイライラして、些細なことで母にあたっていたんです。

父との不仲に疲れた母は救いや居場所を求め、当時家の近くにあった
ある宗教のところへ通うようになりました。

そして次第に母は私をその宗教の礼拝に連れていくようになりました。
最初私は母に言われるがまま、周りの人達と同じように講話を聞いたり
見よう見まねでお祈りをしていました。

しかし自分が成長するにつれて、私はその世界の考え方に
違和感を感じるようになったのです。

■ある宗教の教えとジレンマ

その一つは「人は罪を背負って生まれてくる」という考えでした。

もともと罪を背負って生まれてくる。
でもこの宗教の教えを受け入れて行動すれば罪から救われるというものでした。

母はその考えを救いのメッセージとしてとても有り難く受け取っていました。

でも小学生の私はそう思えなかった。
「・・・でもボクは何も悪いことをしていない。」
「なんで悪いと言われなきゃいけないの??」

母に連れられてその宗教の講話を聞いていると
だんだん気分が悪くなって途中で一人席を外すこともありました。

「あなたには罪がある」と言われ、私は自分の存在を否定された気がしていたのです。
とても有り難い話しだとは思えなかった。

熱心な信者となった母親。

母は私がその宗教に従った考え方、行動をすれば喜び
違う考え方、行動をすると嫌がりました。

そして母から愛されたい子供としてはその宗教を受け入れたい。

でも自分の中に芽生えた違和感があって、どうしてもその宗教を受け入れられない。
このジレンマは数年続きました。

(永田雅宏 http://cocoroesthetic.com/ )

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