歴史から見るどっち?日本人に合うたんぱく質は大豆か肉か。

2021年夏、東京オリンピックです。
コロナ禍ではありますが、頑張る日本選手を応援します!

ところで、日本人は体は小さいのに驚異的な身体能力を持っていることが知られていました。
オリンピックの金メダリストでは、体格では世界に負けるのに素晴らしい成績を残した人がたくさんいますよね。
これって筋肉!?

筋肉といえばたんぱく質。
たんぱく質は肉!という人も多いと思います。
じゃあ、大豆はどうなんだろう?

そんなところから、日本人はたんぱく質をどう摂ってきたか興味がわいて調べてみました。

この記事の目次

体の構成成分としてのたんぱく質

ヒトの生体乾燥重量の約50%がたんぱく質です。
体重でいうと約1/5に相当します。
体を構成する成分としてはかなりの量を占め、生きていくのに欠かすことのできない成分です。

体内では、筋肉・臓器・皮膚・毛髪、ホルモン・酵素・抗体など実に様々なものがたんぱく質から作られます。

一日の所要量

日本人の食事摂取基準によると、たんぱく質の一日の所要量は、体重1キロあたり0.8gとなります。
簡易的には、体重にグラムをつけた量で考えればよいでしょう。
また、筋トレや運動をする人は体重1キロあたり最大2.0gとなります。

体の健康のためにもなくてはならないたんぱく質。
欠かしたくないですね。

食物からたんぱく質を摂る

食べ物に動物性と植物性があるように、たんぱく質も動物性たんぱく質と植物性たんぱく質に分けることができます。

動物性たんぱく質は、肉や魚などの動物から摂れます。
植物性たんぱく質は、大豆など豆類、他には野菜にもたんぱく質は含まれています。

野菜からもたんぱく質が摂れるのは驚きでしょうか?
たんぱく質は肉!と思いがちですが、穀類や野菜からもたんぱく質は摂れるのです。

日本人の動物性たんぱく質事情

日本人の食生活を仏教伝来、明治維新、第二次世界大戦をターニングポイントとして見ていきましょう。

仏教伝来で肉食が禁止?

縄文時代から日本では狩猟や採集によって肉を手に入れ、食べていました。
主にイノシシやシカ、他には鳥、貝、魚など。

時代は流れ、飛鳥時代。
飛鳥時代は、仏教が大陸から伝来し、聖徳太子が仏教や儒教を取り入れた時代です。

その天武天皇の御代。
675年に肉食禁止令の詔が出されました。

こう書くと、仏教が入ってきて肉食が禁止されたように思いますが!!
仏教の影響はあるでしょうが、実際は、狩猟採集から稲作に移行して国家の基盤を安定化(税収アップ)するために規制したようです。

農閑期は狩猟してもいいけど、稲作の農繁期はやめてお米を作ってね。」というものだったようです。
肉食を禁止にしたわけではありませんでした。

その後も、江戸時代まで肉食を禁じることはあっても、厳密には食べることを止めていません。
ただ、肉食は穢れという考えは浸透していきました。

明治維新はすき焼きがブーム

江戸時代400年の鎖国が終わり、西洋文化が一気に入ってきた明治時代。
文明開化がブームな時代。

一つに「肉を食べる」がありました。
明治政府が牛肉や豚肉を食べることをキャンペーンしたのです。
日本の西洋化を推し進め、特に牛肉を食べることが文明開化の象徴となりました。
福沢諭吉も一役買っていて「牛肉は滋養によい」と言っています。

牛鍋という今のすき焼きを出すお店も出てきました。
洋食も。

狩猟で得たシカやイノシシなどのジビエから畜産肉へと変わっていきます。

とはいえ、明治時代の食生活は今のように肉にあふれているわけではありません。
肉はご馳走だったはずです。

戦後、全てががらりと変わった

昭和の一大事は第二次世界大戦です。
戦前戦後で日本がすっかり変わってしまった転換点です。

米、野菜や海藻、大豆食品、魚の食生活が、戦後はパンなどの小麦、肉が中心の洋風に変わりました。敗戦国となった日本の食糧事情は良くなかったこととGHQによる占領政策によって食事情が一変することになりました。
学校給食もあって栄養が豊かになり、日本人の平均身長は急激に伸びました。

私が小学校の頃の学校給食は、米飯はなくパンに牛乳、おかずは洋食系が多かったと記憶しています。
肉は鯨の竜田揚げが好きだったな。。。

それ以降、肉の消費は増えました。
今や街のグルメは肉です。

魚から肉へ進む消費のシフト

日本人の食生活はこの 50 年余りで大きく変化しています。
1960年には1人1年当たりの食肉(牛肉・豚肉・鶏肉)供給量はわずかに3・5kgでしたが、2013年はその10倍の 30 kgとなりました。
一方、日本人の主食である米は115kgから 57 kgに、魚介類は 28 kg(2001年には 40 kgまで増加)から 27 kgにとそれぞれ減少しています。日本人は従来魚を好んで食べていましたが、食の欧米化が進んでいることから、食肉をより多く消費するようになりました。

日本人の植物性たんぱく質事情

動物性たんぱく質の歴史的流れをみてきました。
毎回のように肉が食卓に上るようになったのはここ数十年の話です。

では、植物性たんぱく質はどうでしょうか。
ざっと見ると。。。

縄文時代では、主に植物採集、狩猟、漁撈によって食べ物を得ていたと考えられています。
肉も魚も食べたには食べたが、頻度や量は多くなかったのではないでしょうか。

平安、鎌倉、室町時代の主菜は魚ですし、戦国時代の携帯食の兵糧丸は穀類でできています。
徳川家康は大豆の八丁味噌を重用した話は有名です。

江戸時代の庶民は普段は一汁一菜で、ご飯、汁物、野菜のおかず一品という説もあります。
今よりも日常的に運動量が多かった江戸時代は、エネルギー源となる糖質や、筋肉を作るたんぱく質はこのような質素な食事で量を摂り、たまに動物性という感じでしょうか。

少なくとも昭和初期までは肉はメインではありませんでした。

そう!日本人は今ほどお肉を食べていなかったのです。

米、麦、あわ、きび、豆(主に大豆)や野菜は、肉に比べるとたんぱく質含有量は少ないが、量を食べることでたんぱく質を摂ることができます。
味噌や醤油は大豆から作られるし、日常的なたんぱく源としては、植物性のものが重要だったと想像できます。

穀物や野菜に含まれるたんぱく質

例えば、日本食品標準成分表などによると

  • 牛肉肩赤身100gに含まれるたんぱく質は20.4g
  • 玄米100gに含まれるたんぱく質は7g
    玄米を炊いて、ご飯お茶碗一杯分(150g)でたんぱく質は4.2g
    白米ご飯お茶碗一杯分(150g)ならたんぱく質は3.8g
  • 大豆100gに含まれるたんぱく質は34g
    もめん豆腐100gではたんぱく質は7g です。

穀物に含まれる量は案外多いと思いませんか。

他にも、野菜はビタミンやミネラル、食物繊維を摂るものだと思いがちですが、いえいえ、たんぱく質も含まれています。
例えば、ブロッコリー100gにたんぱく質は4.3gです。

興味のある方は調べてみてくださいね。
驚きますよ!

玄米菜食や精進料理でも、野菜や穀物をしっかり摂ることでたんぱく質は摂れそうですね。

すごいぜ、大豆!

植物性たんぱく質の代表に畑の肉といわれる大豆があります。

日本人との付き合いも長く、なんと!
縄文時代中期にツルマメというものから大豆に品種改良されたそうですよ。
遺跡から大豆の加工したものが出土しているところから、味噌らしいものも作っていたのかもしれません。

一般的には、飛鳥時代に中国大陸から仏教が伝わり広まると共に、大豆はたんぱく質の供給源として加工技術が進歩したといわれています。
仏教の教えを守る寺院では殺生はいけませんからね。

味噌や醤油、納豆、ゆば、豆乳、豆腐などは古くからあったわけです。

これほど食べ継がれている大豆。
日本人と相性がよい食べ物ではないでしょうか。

やっぱり、大豆は負けるのか?

ところが、農林水産省のデータによると。。。

Q.34 日本人は大豆からどのくらいの量のタンパク質を摂っているか?

A.一人1日当たりのタンパク質摂取量は78.3gで、そのうち5.9gを大豆から摂取しています。
(資料:農林水産省「平成29年度食料需給表」)

【解説】
食料需給表によりますと、平成28年度の一人1日当たりタンパク質供給量は、穀類(19.0g)、魚介類(13.4g)、肉類(16.1g)、牛乳乳製品(8.0g)、鶏卵(5.7g)となっています。

大豆のまめ知識:農林水産省

穀類によるたんぱく質摂取量がわからなかったのではっきりいえませんが、たんぱく質摂取量での大豆の割合は1割に達していません。

やっぱり、現代のたんぱく質は肉!なのでしょうか。。。

ただ、肉に偏ると脂質の摂取が多くなるので生活習慣病が問題となります。
そのリスクを考えると、大豆を昔のように取り入れて動物性と植物性をバランスよく食べるのが大切だなって思います。

まとめ

駆け足で日本人のたんぱく質の歴史をみてきました。
たんぱく質は肉!の認識は変わったでしょうか。
植物性たんぱく質、特に大豆は栄養源として日本で食べ継がれてきたものです。
健康を維持向上をさせるために大豆や大豆製品を今まで以上に取り入れていきたいものです。
肉もいいけど、大豆もね!

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この記事を書いた人

心の傷専門家
感情カウンセリング
薬剤師

大学卒業後、製薬会社の学術部で社員教育と医療関係者への情報提供に携わり、その後、整形外科病院で薬剤師として勤務、退職。
現在は心の傷専門家として、ヒーリングやカウンセリングを提供しています。

昭和39年生まれ、一男二女の母。
第一子のアトピーをきっかけに桶谷式母乳育児、栄養学、食育を学ぶ。
第三子の妊娠・出産・育児期は夫婦関係や健康にトラブルが続き心身共につらい日々が続いたので、心と体の回復を目指して漢方と心理学を学んだ。

その学びを深めていく中で、バーストラウマやインナーチャイルド、過去生など心の傷に向き合うことで状況を克服。
今では笑顔を取り戻し、日々軽やかに過ごしている。

セッションでは、生きづらさを感じている方の心が軽くなり、日常の幸せに気づき、自分らしさを取り戻していただけるように心掛けている。

アラフィフ女子が幸せに生きる方法 https://amenosoyokaze.com/

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