「人と自分を比べて苦しい」が消滅した、私のバリ島移住体験

「まじか・・」
2年間でいったい何回心の中でつぶやいたことか。

2011年から約2年間、インドネシアのバリ島にプチ移住していました。
当時は夫もいたのだけど、夫は東京で仕事をしていたので、当時小学4年生と2歳になったばかりの2人の娘を連れて単身バリ島へ。

日本を発つとき、お腹には3番目の娘が日に日に大きくなっていて(とはいっても、妊娠がわかってから2ヶ月くらいのときだったので、おそらく数センチぐらいの小さな魚ぐらい?)

今思うと、妊婦で2人の子連れとずいぶん無茶をしたものだと思いますが 笑 以前から一度住んでみたいと思っていたバリ島だったので、最初は大変な思いもありましたが、それはそれでまた楽しめた人生の貴重な2年間だったなと思います。

単身での海外生活は以前も体験したことがあったけど、先進国では社会生活で「当たり前」に共有されている前提のようなものがバリ島には見事に存在してなくて、結果的にそれが人生に対する価値観を大きく変えてくれたと今振り返って感じます。

バリ島に住んでみたことで私の中で変化したことは本当にたくさんあるけど、この記事では、日本では「いつも人と自分を比べてしんどかった」私が、帰国して日本の生活に戻ったらそのしんどさが自然と消滅していてとてもラクに生きれるようになったことについて書いてみようと思います。

バリ島での生活は「まじか・・」の連続

バリ島には、それ以前にも何度か旅行で訪れたことがありました。

初めて行った時からなぜか現地の人々の生(なま)の暮らしに強く興味を惹かれ、いつしか「一度住んでみたいなぁ」と思うように。

3番目の娘の妊娠がわかってすぐに東日本大震災があり世の中が大きく揺れていたこと、すでに40歳という年齢で日本では「自然出産」が難しいとわかったことも後押しして、以前から考えていたバリ島への移住(&出産)を決意し日本を発ったのでした。

バリ島に知り合いがいたわけでもなく、住む家が決まっていたわけでもなかったので、現地についてからまさにゼロから生活を作っていったわけですが、旅行のときにはわからなかった現地の人々の生活スタイルやそれを支える価値観は、それまでの私が慣れ親しんだものとは大きく異なるものでした。

バリ島では、こどもたちの面倒を見てもらうベビーシッターさんや学校への送り迎えのための運転手さんなど、出産前後には何人かのバリ人のスタッフにサポートしてもらう必要があって、(住み込みのスタッフでも日本円にして月給1万円ぐらいが相場でした)毎日家に通ってきてくれる彼らとの関わりのなかで、少しずつバリ人の価値観について知るようになったのでした。

冒頭に書いたように、2年間バリ島で生活する中で価値観の違いに驚いたことは数えきれないほどありますが、そのなかからいくつか紹介してみようと思います。

バリ人の食のスタイル

バリ人にとって「食べる」行為は人に見られるのはちょっと恥ずかしいこと。ということで、家族が顔を合わせて食卓を囲む団らんのようなものはそもそも文化になくて、普段の食事は、朝から3食分作られて台所に置いてあるものを、自分が食べたい時に食べたいだけとって1人で食す、というのが基本スタイル。
(ダイニングルームのようなものもないので、台所の床か、外で地べたに座って、手で食べます)

ということで私が何かお礼をしたくてスタッフを食事に誘ったとしても、良い返事が返ってくることはまずありませんでした。(ちょっと顔を赤くして「はずかしいから・・」とはにかむような笑顔でいつも断られるのでした・・^^;)

食事しているところを見られるのが恥ずかしいのとは対照的に、排泄している姿はそれほど恥ずかしいと思わないのか、よく川のなかで沐浴&用を足している人(小ではなく^^;)を見かけましたが、こちらが顔をそむけ気味で通り過ぎようとしても、向こうから「はろー」とおもいっきり笑顔で声をかけてくるのでした・・

バリ人の暦

バリ島には暦が3つあって、西暦はあまり使われません。現地で主に使われる暦は一年が365日ではなく、バリ島の暦については何度説明を聞いても結局最後まで理解できませんでした。

住んでいた家のオーナーさんは’だから僕には一年に何度も誕生日が来るんだよ’と笑っていて、年齢を聞いても「西暦では〇〇才ぐらいかな」という答えがかえってくるのでした。(使う暦によって年齢が違うってことです)

カレンダーだけでなく、時計もほとんど使うことがないのか、正確な時間を指している時計を現地で目撃したことはありませんでした。(国際空港の時計でさえ、すべてデタラメの時間をさしていたのにはちょっと笑えました)

バリ人にとって時間の流れというものはかなり感覚的なものなのだろうなと思うのはその言葉にも現れていて、インドネシア語では未来のことは全部「明日」という単語で、過去のことは全部「昨日」という単語で表されます。

つまり明日でも1週間後でも1年後でも「明日」だし、過去のことは同じように丸ごと「昨日」になるわけです。動詞にも過去形や未来形はなく、現在形の動詞に「明日」がつけば未来のこと、「昨日」がつけば過去のことという意味になります。

・・そう思うと、ある意味まさに「今」を生きている人たちなのかもしれません^^

名前は生まれる前から決まってる!?

バリ人の名前に苗字はなく、下の名前は生まれた順番にすでに決まっています。(バリ島にはカースト制があって、ほとんどの人が属している平民階級では少なくとも)

最初の子供はWayan、次の子供はMade、3番目はNyoman・・というように、男女の区別もほぼなく同じ名前がつきます。(4番目までは別の名前ですが、5番目からはまたWayanに戻る^^)

なので、Wayanという名前の人は島中に最も多くて、会話の中でも「えっと、どのWayanの話?」みたいなこともよく起きていました。

バリ島では毎日がお祭り

バリ島が「神々の島」と呼ばれる理由でもあると思いますが、バリ島では年中祭事が行われています。(バリ島中で一年のうちおよそ350回以上祭事があるとのことで、つまり毎日どこかで何かしらの祭事が行われているということですね)、バリ人にとって、お祭り事は仕事より学校より優先順位が高いもの。

これはバリ島に住む以上は当然で私たち在住者が知っておくべきもっとも重要なことで、こちらが彼らのお祭りのタイミングを把握しておかないと、突然仕事を休まれて困るということに遭遇してしまいます。(村の大事なお祭りの日は学校も休み、毎月の新月と満月の日なども、こどもたちは儀式用の正装で学校に行きます。)

お祭りのときだけでなく、日々の朝晩の神様へのお供え物作りもバリ人にとってはお金を得る仕事以上に優先しなければいけない日々のルーティンです。お供え物といっても、各家に少ないところでも70箇所ぐらい、大きなファミリーだと数百箇所分のお供物を毎日欠かさず朝と晩に作る必要があり、となるとそれなりに大変な仕事。

お供物作りはファミリーのなかの女性と子供が担っていて、店番などの仕事はそっちのけで朝に晩に楽しそうにおしゃべりをしながらお供物作りに勤しんでいる女性たちの姿を島中でみかけます。

ちなみに当時のバリ人の平均賃金は月収で7000円から12000円ぐらいと言われていましたが、それぐらいの収入の方でもお祭りごとには数十万円から数百万ぐらいの寄付?をすると聞いたことがあるので、彼らの収入は最低限の生活に使われるもの以外はすべて祭事のために使われるのが当然のようです。

こどもも大人も屈託のない笑顔☺︎

バリ人にとって生きる上での最も大事なことは祭事といっても過言でないので、お祭りのときに連絡もなくスタッフが休みでも文句は言えません。また、それだけでなく、自然と共生しているような彼らにとっては「大雨」も欠勤の理由になってしまいます。

ある朝時間になってもスタッフが姿を現さないので、1時間ほど待ってから電話をかけてみると「え、雨だから」とあっけなく言われてしまったことがありました。(全然悪びれていないので、思わず「そ、そうだよね・・じゃ、晴れたら来てね」と言ってあわてて電話を切りましたが 笑)

バリ島ではどこで見かけるこどもたちも本当に生き生きしていて、それがとても印象に残っているのだけど、今考えると大人たちも子供みたいに「まんま」な人が多かったなぁと。

「雨だから仕事休みます」というのもそうだけど、あるときはなどは、夜中に急な買い物で行ったコンビニで、2人の男性店員が堂々と床に横になって熟睡していて、どれだけ声をかけても起きてくれず諦めて他のコンビニに走ったこともありました^^;

人と比べても意味がない、自分は自分でしかないよねという結論にいたる^^;

そんなバリ島に2年暮らして、いつのまにか自分のなかで変化していったものはとても大きかったように思います。

その一つが日本に住んでいたときは、人と自分を比べてしまって、自分が相手より優っているか劣っているかみたいなのが常に気になっていて苦しかったのだけど、(今はその感覚すらもう思い出すことが困難ですが^^;)そもそも比べるってのは、指標なりものさしが相手と共有されている必要があって、でもそれって、実は帰属している社会とかコミュニティのなかでしか通用しないもの。
まったく異なる価値観とか文化のところに行ってしまったら、収入とか学歴とかだけじゃなく、美しさとか善行悪行の基準すらちがうわけです。

西暦が基準でない(つまり一年は365日で回っていない!)とか、つまり時間軸すら共有できなかったバリ人との生活のなかでは、私の中のものさしが一つ一つ「これだって単に便利だから使っているツールでしかなく、絶対的なものではないんだなぁ」というように、その輪郭が徐々にぼやけてくような感覚でした。

同じものさしを持っていないとしたら、自分と人と比べること自体ナンセンスなことだし、異国での生活で自分がそれまで当たり前と思っていた価値観が確実なものでなくなっていけばいくほど、自分は自分でしかないし、それでいいんだと自然に思えるようになったのだと思います。

バリ人にはバリ人の素敵なところがあるけど、日本人には日本人にしかない素敵なところがいっぱいあって、どっちがよいとかわるいとか、どっちが正しいとか間違っているってこともなく、ただ違うだけ。

それは本当はどんなコミュニティのなかでも、どんな人間関係のなかでもずっと変わらない真実で、日本にいるとバリ人と日本人ほどのわかりやすい違いではないにせよ、自分と人はいろいろな面で違っていて、そこに優劣とか正誤はなく、ただ違うだけ。

そういうシンプルな結論に辿り着いたのです。

まとめ

バリ島では小さな子供を連れての移住だったし、出産もあったし、何もかもが日本で慣れ親しんだものと違う環境のなかで、なんとか自分とこどもたちが安心安全に暮らせるよう、現地の人とよい協力関係を築く必要がありました。

そんななかで180度違うようにも感じる異国の価値観も受けいれつつ、自分のゆずれない価値観をこどばが通じない現地の人に伝える必要もあって、そんな時間をすごしているなかで、心のなかにあった無意識の枠とか制限が、少しずつうまい具合に外れていったのかもしれません。

2年間のバリ生活でことごとく自分のなかの「当たり前」がいい具合に破壊されたことで(笑)、違いを違いのまま受け入れることができるようになって、日本に帰ってからも自分を人と比べて苦しくなるということは気づくと消滅していました。

それは言い換えると自分にも相手にもそれぞれの「価値」があるってことを自然と認められるようになったということかもしれません。

バリ島での体験で自分のなかで自然と変化したことはまだまだありそうなので、思いついたらまた記事にしてみたいと思います。

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この記事を書いた人

沖縄の小さな離島、石垣島在住。
感受性が強く生きづらさを感じるエンパス/HSP専門カウンセラー。
電話でのヒーリングやカウンセリングのほか、エンパスさんのしあわせな自己実現をサポートする活動をしています。

HP:https://muera.jp
note:https://note.com/muera_note

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