一悟術

「断り方が上手な人になる」つい人に合わせてしまう’いい人’を私がやめた理由。 

「〇〇さん、今度みんなで飲みに行くんだけど、よかったら参加してね」

え?飲み会か・・。苦手なんだよね。

タバコの匂いもいやだし、何を話していいかもわからない。
たいていはあとでぐったりしちゃう。

でも・・
せっかく誘ってくれてるし、断るといやな感じになっちゃうなぁ。
どうしよう・・

「は、はい。あ、楽しそうですね。じゃ、はい。参加します・・」

 

心で本当はNOと言っているのに、相手に不快な思いをさせることを避けようと、つい口ではYESと言ってしまう。

こんな体験って、ありませんか?

『NOと言えない日本人』という本が話題になったこともありましたが、相手の気持ちを察することや和の精神を重んじる日本人は、そもそも自分の意思をはっきり言うことで相手と対立することを好まない、そんな性質をもっているのかもしれません。

私も以前はNOというのがとても苦手でした。

でもNOといわないことで得られるその場の「平和(調和)」があくまで一時的なもので、本当の意味での平和解決にはなっていないということにあるとき気づいたことから、今では自然とNOが言えるようになりました。

この記事では、調和を重んじて’NO’と言えない人が、ほんとうの調和のためにNOを言うことが自然とできる人になるための考え方を、私自身の体験をもとにまとめてみたいと思います。

さらりと’NO’が言える人は、誰にも悪く思われない

前述したように、以前はNOというのがとても苦手でした。

行きたくない飲み会でもつい「行くね」と言ってしまったり、自分がいらないと思うものでも、「これよかったらもらってもらえる?」と差し出されると、なんとなく断れなくてもらって帰ってしまったり。

今振り返ると、そのとき私が重視していたものは「表面的にその場が丸くおさまること」、ただそれだけでした。

でもそういうことが重なると、結局は余計に状況がややこしくなるということも正直少なくありませんでした。

たとえば「行くね」といったものの、その日が近づいてくるにつれてだんだんと気が重くなってしまい、当日にはとうとう体調にも影響が出て結局ドタキャンをすることになってしまったり。

そうなると、相手にはかえって大きな迷惑がかかってしまうし、信用も失います。

自分としても当日まで心身にストレスをかけ続けてしまうわけで、そう思うと、誘われたときにNOと言えなかったことは、結局は誰もハッピーにはしない選択だったということです。

一般的に、NOというのが苦手な人にその理由を聞くと

「相手に悪い気がする」とか
「相手に嫌われたくない、責められたくない」

というようなものが多いそうです。

では、もし断ることがで相手が気分を害したり、自分のことを良く思わないという可能性がゼロだったとしたらどうでしょう?

’相手が’どう思うか?というのをまったく考慮しなくて良いとしたら、
’自分が’どうしたいか?という点だけにフォーカスすればよいわけです。

自分が行きたいのであれば行く。
気が進まないのであれば行かない。

いわゆる’自分軸’だけで答えを出せるとしたら、とてもシンプルだし苦労はありません。

私の高校時代に、実際そういうタイプの友人がいました。

彼女はいつでもはっきりと’自分’を持っている人でした。

みんなが食べているものでも食べなくなければ「いらない」と断るし、行動も誰に合わせるわけでもなくいつもマイペースで動いていて、言いたいことがあれば相手が誰であってもさらりと口にする、そんな人でした。

でも決して空気を読まない(読めない?)タイプの人という感じでもなく、頭も良く周りの状況はよくわかっているし、それでも「自分は自分」というところにいつも自然といる人だったので、たとえ彼女を誘って断られても、断られた側もたいして気にならないという感じでした。

今思うと彼女の中に、断るときに変に相手に気を使って言い訳をしたり、気を使ったりというような要素がまったくなかったし、最初からマイペースな人というイメージを周りに対して確立しているので、誘う側も断られてもわだかまりが残らずさっぱりしていられたのだと思います。

彼女のように自分軸をもって、シンプルに’NO’をさらりと言えたとしたら、本音とは違うことを口にしてのちのちストレスを溜めることも、かえって状況をこじらせてしまうようなことも起きません。

自分とは真逆のスタイルで生きているようにも見えたその友人との出会いは私にとって(良い意味で)ショックだったけど、ありのままで自由に生きているように見える彼女の姿を『あんな風に生きられたらきっとラクだろうな』と心のどこかで羨ましく感じていました。

NOが言えない原因ってどんなもの?

本当は誰もが彼女のように自分軸を持って、ありのままに生きていられたら、人間関係はむしろこじれにくいのかもしれません。

多くの人の中には「いい人でいたいし、人に嫌われたくない」という気持ちが強くあるので、相手の申し出に対してNOを言うことに、どうしても抵抗が出てしまいます。

あるいは日本人特有の「人との間に調和を保ちたい」という根深いところにある和の精神が、NOという明確な意思表示をもって相手と対立することを、無意識に避けようとするのかもしれません。

人間関係のベースになる幼少時の親子関係「つい相手(親)の意向に合わせてしまう」という癖を知らず知らずに身につけてしまったということもあるでしょう。

たとえば小さい時に、親があなたの気持ちをちゃんと聞いてくれることなくなんでも親の価値観で決めてしまっていたような場合。

親の考えにNOといったとしても、聞き入れられることはなく、頭ごなしに否定されたり叱られるなどして不利益をこうむることばかりだったとしたら、NOをいうことは相手の気持ちを害して自分も結局不快になること、という誤った学習をしてしまっているかもしれません。

エンパス体質のように人の感情に特に敏感だったりすると、余計にいつでも親の気持ちを察してそれに合わせて自分の言動を決めるという癖がついてしまっているので、自分が本当はどうしたいのか?それをいちいち感じることもしなくなって(それに気づくと苦しくなるので)、周りの人の意向に沿って動いている方がラクな生き方だと思い込んでしまったかもしれません。

いずれにしても相手にNOを言わないことが、「波風を立てずに、その場の調和を保つ」ための良策だと、人生のどこかで信じてしまったわけです。

人に合わせること=本当の調和、ではない?

過去の私のケースも、まさにそうでした。

どんなときでもニコニコとして人当たりよく「愛想がよくて感じがいい人」を演じることが、自分の人生では当たり前になっていたので、誘われたり頼まれたりしたらとりあえず’YES’と言ってしまう、そんな生き方でした。

そうすることで、周囲の人とも対立しにくく、自分が心で願っている’周りの人との調和’が保てているように感じていたからです。

本当は笑えるような気分でないときも、無理にでも笑顔を作ろうとしていたし、引き受けたくないような頼まれごとも、’いい人’という評価を得るために引き受けてしまって、結局ストレスを溜めることにもなっていました。

要は、いつしか選択の基準が「人にどう思われるか」であって、「自分がどうしたいか」ではなくなっていたのです。

この自分の選択は「人と調和を保つためにやっている」ということとして認識されていましたが、実際には「人に合わせて」選択することは、ほんとうの調和を得られることではありませんでした。

それは、もっとも大事な「自分のなかの調和」が無視されていたからです。

私がこれに気づいたのは、3人のこどもを子育てをするなかで自分と似たような選択をする三女の様子を見ていたときでした。

三女は私と同様にエンパス体質(人の感情を自分のもののように感じる共感体質)で、それゆえに自分の選択を上のお姉ちゃんたちの意向にいつも委ねてしまう傾向があります。

何かを選ぶとき、自分とお姉ちゃんたちの意向が違うことを敏感に察すると、自分の意見は決して口にせず、お姉ちゃんたちの希望が通るようにするのです。

確かにそれだと「争い」はおきません。三女のなかでは「争うぐらいなら、自分が我慢すればよい」という選択なのです。

そんなこどもたちの様子を客観的に見ていて「これはどうも、本当の調和でも平和でもないぞ?」ということに、私もやっと気づいたのです。

本当はAという遊びが自分はやりたい、だけどきっとお姉ちゃんはBという遊びがやりたい。そうすると三女は最初から『私もAでいいよ』と言ってしまうのです。

忖度ということばがありますが、相手の気持ちを察して自分の行動を制御することは、日本では必ずしも悪いこととはされないかもしれません。

でも三女の様子を見ていると、彼女の本心が思っていることと言動が一致していない、これ自体がとても不調和な状態です。

自分の中に不調和を生み出しながら、自分の言動だけ、つまり表面的なものだけを相手に合わせようとしているわけですから、これは本当の意味での「調和」ではないと感じたのです。

では本当の調和はどうやったら生まれるんだろう・・?

そう考えていたら、それはやはり双方が自分の本当の気持ちを口にして、その上で両方がハッピーになれる方法を考えて実行できたとしたら、そのときはじめて本当の「調和」が生まれるのかもしれない。

こどもたちの様子を眺めながら、ふとそんなことを考えたのでした。

まとめ

私の場合は子育てを通して、自分の本当の気持ちを隠して’YES’ということは、相手との間に決して本当の調和は生まないということに気づきました。

表面的に対立しないこと=調和(平和)では決してないということです。

私自身、今でも「つい相手に合わせてしまう」ということをうっかりしてしまいそうになることはまだまだあります。

それは、慣れていないと「自分が本当はどうしたいのか」という本音をいちいち掘り起こすことの方が面倒だったりするからです。

でも本当の調和は、「自分の中」からしか生まれないのだと思います。

自分の中が調和してないのに、自分と外側が調和するということはおそらくありえないと感じるからです。

もし自分の中が調和していないまま、相手の申し出を断らない、つまりNOを言わない選択をして「その場が丸くおさまった」としても、結局どこかでは歪みを生んでしまいます。

「断り上手な人」になるということは、自分の本音をいつでもちゃんとわかっていることと、そこに調和した言動をとること、私の友人の例を見ても、重要なのはそんな「あり方」なのかもしれません。

それが自然にできるようになればなるほど、相手にも不快な思いをさせることのない平和で心地よい人間関係がラクに築けるようになっていくのだと思います。

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