「なんか違うんだよなぁ」
何をやっても、どこに行っても、そんなふうに感じました。
やりたいことってよくわからなくて、結局考えて疲れちゃうことも多かったです。
「出口が見えない…」
って感じでした。
自分の大切にしたいことや真ん中におきたい価値観なんて到底見つかりそうもありませんでした。
でも、ある時見つかったんです。
それは意外にも、生まれ育った街にありました。
見つけた時は「うおー!これだったのか!」って感じでした。
ずっと探していた答えを見つけて
「これでもう迷わない。」
そう思いました。
思い出のたくさんある街で、自分の道を見つけた時のことをお話しします。
生まれ育った街へ
もう、生まれ育った街を出て何年たっていたのでしょうか。
最後にこの場所で過ごしたのがいつだったのかもよく思い出せませんでした。
10年は経っていたかもしれません。
そこには物心ついた時から住んでいたのですが、今となっては実家があるわけでもなく、帰る理由がありませんでした。
そんなわけで、行こうとしないと行かない場所でした。
あの時は用事ができたので、行くことになったのでした。
記憶よりも小さな街
何度も使った最寄り駅は、記憶とさほど変わっていませんでした。
新しいお店が駅前に数軒できていました。記憶の中と微妙に違って変な感じでした。
最寄駅は、そのあたりでは、ぼちぼち大きな駅に数えられています。改札を出ると左右に出口があって、大きなロータリーがあります。
右側の出口から、大きな階段を下って街に出ました。
少し歩き出すと「この通りの向こうにはスーパーがあったはず」とか「この道を行くと小学校の裏門があるんだっけ」とか案外道を覚えていました。
思ったより懐かしさは感じませんでしたが、おぼろげながらも妙に正確な記憶が、確かにこの街に住んでいたことを証明していました。
当時住んでいた家がある辺りまで歩いて、せっかくだから通っていた小学校まで歩いてみることにしました。
子どもの頃は、学校がすごーく遠くに感じて「あとどれくらい歩けば着くんだろう」と挫けそうになりながら通ったものでした。
途中座り込んで、打ちひしがれたことも一度や二度ではありませんでした。
でも大人になって歩いてみると、小学校はもう、すぐそこにありました。
「こんなに近かったっけ?」と拍子抜けしてしまいました。
小学校に到着して、校庭を覗いてみました。
校門が空いてたからちょっと入ってみました。(不審者。笑)
そこには、記憶よりもずっと小さな校庭がありました。
こんな小さな世界が私の全てだったんだなぁと思うと、すごく不思議な気持ちでした。
あの時はどこまでも続いているように感じていた街が、手のひらにすっぽり収まってしまうくらい小さく感じました。
街に詰まった思い出
小学校からしばらく歩くと、家族でよくピザを食べに行ったレストランがありました。石窯のあるピザ屋さんです。
食事をした後は、レストランに併設されたパン屋さんでパンを買ってもらうのが楽しみでした。
よくよく考えてみれば、あちこちノマドしていた私が人生で一番長く住んだ街で、街の至る所に思い出がありました。
歩いていればいい思い出も、そうじゃない思い出もたくさん転がっていました。
学校の休み時間にお腹が空きすぎて、友達とドーナッツの絵を描いたこととか
台風の日に高台から見た海の波が、信じられないくらい大きくて興奮したこととか
よく覚えてるなーなんて感心してしまうくらい、くだらないことが鮮やかに蘇ってきました。
いろんなことを思い出していると、同時に小さい頃に感じていたなんとなく重たい気持ちや不安もリアルに迫ってきました。
楽しい時も、そうじゃない時も、どこかくすんだ冷たさがすぐ近くにあるような気がしていました。寒い雨の日のひんやりした重たい空気のようでした。
灰色の空気の中を生きているような気分だったのを覚えています。
故郷は灰色
灰色の空気はいつもなんとなく感じていて、近くにあるのが当たり前でした。
嬉しいときも楽しい時も、気分に関係なくいつも隣にありました。
だから、私が思い出す街の景色はいつもどんよりしていて、活気がありませんでした。
今思い返せば、インナーチャイルドだと思います。
正直、いい街だとは思っていませんでした。
私にとっては、心霊スポットのような暗さがつきまとう重たい街でしかなかったのです。
本当に「実は心霊スポットなんじゃない??」って思って、街の歴史をネットで検索したこともありました。笑
いくら調べても心霊スポットじゃなかったんですけどね。
この灰色の空気を思い出すのが嫌で、今まで行くことを避けてきたのかもしれません。
特に用事がなかったからだと言ってしまえばそれまでですが、あまり行きたくないと思っていたのは事実でした。
再び、灰色の街へ
灰色の街から帰って数日経った時のことでした。
偶然、また同じ場所に行くことになりました。。
ずいぶん前から約束していた自然栽培のキウイの収穫のお手伝いがあったからです。
住んでいた場所と近いとは聞いていたのですが、前日に待ち合わせ場所の連絡が来て確認すると、近いというか、ちょうど数日前に行ったのと全く同じ地域でした。
駅も、私が通学に使っていた最寄り駅でした。
あの時は、なんの悪戯かと思いました。
「えー、また行くの??」って感じでした。
別に嫌じゃないけど、用がないと行かない場所にこんなに頻繁に行くなんて奇妙じゃないですか。
灰色の街に移住した人たち
「この景色に一目惚れして移住してきたんです」
当日、キウイを育てている人と会って話していると、数年前に移住してきたと話してくれました。
いやー、驚きを隠せませんでした。
私にとっては心霊スポットですから。笑
「こんな場所にわざわざ移住してきたんですか??」と言いかけてやめました。
しかも、移住してきた人は一人じゃなかったんですよ。
ふたりも、移住してきた人がいたんです。
口を揃えて「この街は豊かでいいですよね」とか「いい街で育ちましたね」とか言ってくるから、苦笑いするしかなかったです。
一緒に行った友達も「いいところで育ったんだねー!羨ましいよ」とか言い出すもんだから、「おかしいなぁ」「そんなはずないんだけど…」なんて気分になっていました。
生まれ育った街を眺めて
キウイ狩りを手伝った後、畑の近くを案内してもらいました。梅も育てているんだそうで、今年つけた梅を食べさせてもらいました。
皮がとっても柔らかい品種でその地域の名産なんだそうです。
そういえば、食べたことあったような、なかったような…
みかん畑にも連れて行ってもらいました。
丘の上にある自然栽培というか、ほったらかし栽培?(笑)のみかん畑でした。
もぎたてのみかんを食べました。
皮がびっくりするくらい硬かった!
(美味しくなかったらどうしよう、、って思ったくらい。)
食べてみると味が濃くて、今まで食べたみかんの中で群を抜いて美味しかったです。味の濃さを味わっていると、その土地の豊かさが体に染み渡るような気がしました。
あの美味しさは、忘れられないです。
時間が経っても思い出すなんて、相当美味しかったんですよね。
みかん畑のすぐ近くに丘の上から街を一望できる場所がありました。
案内された絶景スポットに立ってみると、遠くに美しい山並みと海に囲まれた街が見えました。
「ここが私の生まれ育った場所なんだ」
こんなに美しくて豊かな場所だなんて、初めて知りました。なんだか、信じられませんでした。丘から見る街は灰色なんかじゃなかったです。
夕暮れ時の太陽の淡いオレンジ色が藍色の山並みに馴染んでいくのが鮮やかでした。
雲に当たって反射した光が街の上でいくつも筋になっていました。
白っぽく穏やかに輝く街を見ながら、生まれて初めて「いい街で育ったんだなぁ」と思うことができました。
「いい街だね」と言われて相手のことを疑ったけど、間違っていたのはどうやら私の方だったようです。
私の「故郷は心霊スポット説」は見事に覆されました。
心の原風景
美しい景色を見ていると、幼い頃はよく土や植物に触れていたことを思い出しました。
趣味は砂鉄集めと草木染め、空を眺めるのが大好きで、毎日変わる空模様は最高のアートだと感じていました。
春夏秋冬で陽の長さが変わることも、見かける虫や草花が変わることも、教わらなくても体験として知っていた幼少期は認識以上に豊かで、貴重な経験だったんだと思います。
自然の中で育った感覚は、漠然とした信頼感や安心感として、私の中に今でも根を張っていることに気がつきました。
オーガニックなものや天然素材を好んだり「自然の近くで暮らしたい」と山小屋で働いたりしていたのは、幼い頃に培った自分への信頼感や安心感を思い出したかったからなのかもしれません。
幼い頃の私は、その感覚の先に、自分の生きたい世界を思い描いていました。
なんとも説明し難くて、明確に言葉にならない抽象的な感覚だったのですが、これを目指していたんだと思いました。
幼い頃に感じた暗い気持ちに埋もれて、わからなくなっていました。
あの時思い出した、あの感覚は、のちに具体化されて、やりたい仕事になりました。
子どもの頃に感じていたネガティブな気持ちの方が大きくて、土地からもらった豊かさはよく見えませんでした。
改めて生まれ育った街を見ながら、子どもの頃に受け取った豊かさの中で夢見た世界を思い出して、自分が大切にしたいものや進みたい道を思い出せた気がしました。
自分の道は、小さい頃の記憶の中に埋まっているのかもしれません。
大切な気持ちを思い出させてくれた丘の上からの景色は、新しい私の心の原風景になりました。