親に話しかけられると、なぜかイライラすることはありますか?
嫌なことを言われたわけでもない
気分が悪かったわけでもないのに
急に「うざいなぁ」「話しかけないでほしい」
そんなふうに思うことがあるなら、原因は親の過干渉かもしれません。
私は普通に話していたのに急に相手にイラっとすることが多く、その理由が自分でもわかりませんでした。
特に家族だと、どうしようもなくイライラすることがありました。
その原因は、親が過干渉だったことでした。
過干渉とは、簡単に言うとうざい親とか、口出ししてくる親とかそんな感じです。
ここでは私の経験を振りながら
- 過干渉な親の特徴
- 過干渉と怒りの関係
- 過干渉な親を持った人の8つの特徴と生きづらさ
についてまとめてみます。
もしかしたら、理由のないイライラの原因がわかるかもしれません。
あなたの親って過干渉?
そもそも過干渉とはなんでしょうか。
過干渉とは文字通り「過剰に干渉すること」です。
自分でやりたいのにやってしまう親
親が服や習い事に口出しして、決めてしまう親
友人関係に口出しする親
進路や部活、子どもの選択に口出しする親
門限やマナーに厳しい親
など、鬱陶しい親という感じでしょうか。
もうちょっと具体的にみてみましょう。
過干渉な親の口癖
こんなことを言われたことはありますか?
- 〇〇はやったの?(宿題やったの?)
- 〇〇しなさい。(ちゃんと勉強しなさい)
- どこに行くの?誰と行くの?何時に帰るの?
- あなたのために
- ○○やったら?
- ○○はしちゃダメ
- ○○するのが当たり前でしょ
- そんなことで泣いてるの?
- 早くしなさい
- どうしてできないの
- そんなこと言うならもうやってあげないよ
- ○○なあなたが自慢なの
これ、過干渉な親がよく口する言葉です。
私はけっこう言われたんですけど、、笑
すごい息苦しかったです。
自分の思うように自由にできないけど、相手の基準もよくわからないから「じゃあ、どうすればいいの?」って感じでした。
過干渉な親の態度
過干渉な親はこんな態度をとります。
- 子どもの意見を尊重しない
- やたらアドバイスする
- 子どもの持ち物が好みに合わないと批判する
- 行動を把握しようとする
- 友達を選ぶ、もしくは友達付き合いに口出しする
- 子どもの服を選ぶ
- 宿題や学校の準備に口出しをする
- 進路に口出しをする
- 親がした方がいいと思う習い事をさせる
- 門限が厳しい
- 親独自のルールを強制する
あなたの親はどれくらい過干渉な親に当てはまっていたでしょうか?
親は「子どものために」との発想で行動していることが多いですが、その割に子どもの感覚は尊重されません。
私の話をすると、小学生の時は親が服を選んでいました。
「時間がないから」と差し出された服を着てると本当に自分が無力に思えるんですよね。
なんか感情のない人形にでもなった気分でした。
嫌すぎて、学校で脱いでました。笑
そうそう、よくわからない独自ルールがあったり、言っていることが矛盾していて混乱することもありました。
「えー!!前と言ってること違くない??」って思うことはよくありました。
(そういうのばっかりだったかも。。)
さて、過干渉な親に育てられるとなんで怒りを溜めるんでしょうか?
イライラと過干渉の関係
過干渉によって蓄積する怒りは、自分が傷つけられたことに対する反発です。
これって、実際に傷つく言葉を言われたとか、暴力を振るわれたとか、そういうケースばっかりじゃないので見つけるのが難しいかもしれません。
例えば、親に言われたことをやる時です。
親が過干渉だといろんなことを親が決めがちです。そんな時、本人がどうしたいか、その本音は無視されます。
本音の方は、聞いて欲しいことがあってずっと話しかけているのに無視されている状態になります。
何度も言っているのに聞いてもらえなかったら
「なんで聞いてくれないの?」
「なんで無視するの?」
と怒りが湧くのが当然です。
この怒りが少しづつ溜まっていくのです。
過干渉な親って、本当は本人だけが入ることができる、心のテリトリーにみたいなものに土足でズカズカ入り込んでくるんですよね…。そうすると自尊心も傷ついていきます。
自尊心とは自分を認めて大切にできる感覚のことです。
自分のスペースだと思っていた部屋にズカズカ入ってきたら「入ってこないでよ!」って思うし、大切なものを傷つけられたら「やめてよ!」って言いたくなるのと同じです。
親に話しかけられて、理由もなくイライラするときはこうやってたまった怒りが心の奥で疼いているのです。
過干渉な親を持つ人の8つの特徴と生きづらさ
過干渉は子どもを最も確実に不幸にできる方法とも言われていて、過干渉な親を持つと、他にもこんな生きずらさを抱える可能性があります。
愛された実感がない
愛された実感というのは自分が望んだ形で愛された時に得られるものです。
愛された実感が持てないと、自分の価値を感じられなくなってしまう傾向があります。
私は自分のことを社会のゴミのように感じていた時期がありました。
今振り返るとなんでそんなこと思っていたのかよくわからないくらいなのですが、心からそう感じていました。「自分なんかいなくていい」「いない方がいい」って気分なんですよね。
だから「認めてほしい」と思っていたし、それがいろんなことを頑張る原動力にもなりました。でも、こういう頑張り方は疲れるものです。
やりたいことがわからない
私は高校を卒業する時、やりたいことが全くわかりませんでした。
それは何が好きか分からないのではなくて「好き」という感覚がわからない、という状況でした。
「好きなことしたらいいんだよ」と言われるのが一番嫌でした。
「わかるならやってますよ!(怒)」っていつも思ってました。
思考停止・無感覚によって自分がいなくなる
過干渉な親に育てられた子どもは受け身であることが多いです。
嫌なことを言われても、傷ついても、全部受け入れてしまいます。
そんな中で大きく育っていくのは「感じないように」「考えないように」することです。
私は「自分がいない」っていうのが本当にぴったりな心境でした。
体だけ大きくなって、自分の中はからっぽでした。
自己否定が強い
親の過干渉は「お前はダメだ」というメッセージになると言われています。
恒常的な「お前はダメだ」のメッセージは自己否定は根深く、自己肯定感が低い状態を不動のものにします。
自分が好きになれない
自分が悪い気がする
自分に価値がない感覚がある
大人になってからそんな風に感じる原因です。
自己否定は自分を下に埋めていくエネルギーです。
そういえば、私は下ばっかり見て歩いていました。
無気力
自己否定は無気力状態を作ります。
「無気力や憂鬱さをどうやったら抜け出せるんだろう?」ってよく考えていました。
私はよく「覇気がないね」って言われていました。(失礼じゃない?笑)
でも、自分でも「うん、否めない…」って感じでした。
なんか憂鬱で、重たくて、どうやって気分を上げたらいいかわからなかったんです。
【参考記事】
やる気スイッチはどこにある?気分の浮き涼みに効く薬
コミュニケーションがうまくいかない
親との間でコミュニケーションの取り方が学べないので、コミュニケーションが苦手になる傾向があります。
相手に期待してしまったり
人に合わせて言いたいことが言えなかったり
わかって欲しい気持ちが強くなってイライラしたり
人が怖いと感じやすかったり
私はコミュニケーションはかなり苦手意識がありました。
人前で自分らしくいられないし、イライラしたら抑えられなくて辛いし「どうすればいいんだよ」って感じでした。仕方ないから何に対しても興味ないふりをしました。
そうしたら傷つかずに済むからです。
実は、挨拶するのもなんか怖くて…苦手でした。
極端な思考の癖を持つ
白か黒か、極端な思考を持っている傾向があります。
一回の失敗で「自分はもうダメ」他人が失敗すると「あの人は仕事ができない、あの人は信用できない」という極端な判断をしてしまいます。
私は「どっちが正しいんだろう」「どっちにしたらいいんだろう」と悩むことが多くて、物事にグラデーションがありませんでした。
物事をいいか悪いかのどちらかで考えてしまうことも多くて、自分の善悪判断が窮屈でした。
逃げ場がなくて、言い訳や正当化するための説明をいつも用意している感じでした。
妄想癖
「もし○○ちゃんの家の子だったら…」「夜のうちに学校が消えて無くなったら…」「こんなものが手に入って、こんな風に暮らせたら…」
現実がけっこう辛いので妄想の世界に避難していることも多いです。
意識が内にこもりがちで、現実を受け入れるための経験を積み重ねられないのでなかなか妄想の世界から帰ってこれません。私は妄想の世界で生きていました。笑
本当の人生を始める自由
さて、こんな感じで過干渉な親を持つとかなり生きずらいです。
あなたはいくつ当てはまっていたでしょうか。
私は8つの生きづらさは全て経験しました。
自分の抱えている生きづらさが、過干渉な親が原因だと知った時、母をとても責めました。
人生を奪われた気分で、いくら責めても足りないくらいでした。
でも、責めたからといって、私の人生が変わるわけではありませんでした。
過干渉な親の影響で感じる生きづらさから自由になりたい時、やることはシンプルです。
親の影響を一つずつ手放し、育てられなかった自分の感性を育て直すことです。
だから、わけもなくイライラすることも、ほかの生きづらさも、その原因が親の過干渉だと気がついた時は、人生を変える切符を手に入れた時です。
私たちには親のせいにして、親の影響を受けた生きづらいままの人生を生きるのか、それとも生きづらさを手放して自分の人生を生きるのかを選ぶ自由があります。
あなたはどちらを選びたいですか?