いつの間にか
自分で自分のことを否定してしまっている。
意識をしない内に気がつけば
自分自身を否定する【自己否定】が習慣になってしまっている。
そんなことはないでしょうか?
自分では意味もわからず止まらなくなってしまう自己否定から抜け出すための方法をお伝えしていきます。
心地よい「自己否定」ワールド
【自己否定】というキーワードからは
よくないこと
自己否定はしない方がいい
否定するのはダメ
否定より肯定する方がいい
といったように、自己否定に対する悪いイメージ、良くないイメージを持っておられるかもしれません。
そのため「自己否定はダメだ!」と、その存在自体を認めないようにしている。という場合もあります。
しかし一方で、「自己否定はダメだ」とは思いながらも無意識の内に
自己否定が心地よくてやめられない
というように自己否定がいつの間にか「クセ」になっていることはないでしょうか?
口グセが自己否定を誘発
普段あなたが発している言葉の「クセ」に注目をしてみましょう。
気づかない内に同じような言葉を使っていることはないでしょうか?
普段からこんなこと言っていませんか?あなたの口グセをチェクしてみましょう。
自己否定をいくら止めたいと思っていたとしても、無意識に【自己否定】に繋がる言葉を使うことによって気づかない内に自分自身を「自己否定の世界へと誘導」している可能性があります。
特に「クセ」は自分自身では気づくことが難しく、無意識になりがちです。
望んでいないにも関わらず、無意識の力を使うことによって自己否定を誘発しているのです。
自分に自信がないから
わたしの場合、自分に自信がなかったり、自分のことを認められていないときにこれらの言葉をよく発していたことに気づきました。
自分に自信がないけれど、「自信がないこと」を周りに知られたくはありません。できれば隠しておきたいわけです。
そんな時に「自分を隠す」のに使える便利な言葉です。
どうせ、自分には無理。できない。
自分なんかが参加する資格はない
「絶対」にできないに決まっている
他の人はちゃんとしている
自分に自信がないこと
自分にはできないこと
本当はやってみたいけれど、諦めるしかないと思っている時に使います。
自己否定が止まらない
自分の言葉を使って【自己否定】を誘発し、自分自身を否定し続けることによって自己否定は止まらなくなってきます。
本当は望んでいないのに
と、嘆く自分の存在が心地よくなり、当たり前になってきます。
変わらないことへのコミット
止まらない自己否定によって、あなたの中で起こっているのは
という、「変わらないこと」に対するコミットになります。
本当に望んでいることでしょうか?
今のまま、
何も変わらず
成長することもなく
むしろ、
後退するだけの人生
そんな生き方をあなたは本当に望んでいるのでしょうか?
アクセルとブレーキ
わたしは
変わりたい、成長したい、もっと自分らしい人生を生きるようになっていきたい。
と思い、学び、行動しながらも
同時に
強い自己否定を自分の中に抱え続けていました。
特に人とのコミュニケーションにおいては「強い自己否定感」が頻発し、自己否定の心地良さに浸っていたような時期もあったのです。
変わりたい、成長したいという「アクセル」を踏みながら
変わらない、成長したくないという無意識の「ブレーキ」も同時に踏み続けていました。
結果的に
前に進んでいると瞬間的に感じながらも、それは「瞬間」で終わってしまい、
日常生活に戻った時には自己否定のブレーキが作動して「変わらない」自分自身を選びとっていたのです。
自己否定の要因は「親子関係」
わたしの場合、自己否定の根本要因は「親子関係」にあると考えられました。
子供は親に認められたいと思うものです。
わたしは3人兄弟の長男。
弟が産まれた時から戦いは始まっていました。
子供の頃のわたしは、親に対してこんなことを思っていました。
一生懸命にアピールする子供の僕。
ところが、両親は共働きで忙しく一緒にいる時間も短い。小さな弟2人は元気で騒がしい。
どれだけやっても「自分は親に認めてもらえない」という想いが強くなっていったのです。
こんな思い出があります。
家族でスケートリンクに行きました。
スケートで滑ることが苦手だったわたし。
でも、数時間の練習である程度まで滑れるようになってきました。
滑れることが嬉しく、親に認めて欲しかったわたしは
母親に滑りながら寄っていきました。
「こんなに滑れるようになったよ!」(と、心の中で叫びながら)
ところが、母親はスケートが苦手。
わたしの突進を避けることができず尻餅をついて腰を痛め
激怒!!!!
わたしの中には
自分にもできた!という思いを伝えに行くと親に「拒否された!」
という思い込みができあがったのでした。
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寂しさを感じる
今現在の大人になったわたしが、子供の頃の寂しかった想いを思い出しながら感じてみます。
寂しさは恐怖へと繋がります。
先程のスケートの事例であれば
スケートが滑れるようになったとアピールするよりは
僕はできない
という方が、
- 母親を倒すこともなく
- 腰を痛めることもなく
- 怒らせることもなく
- 惨めな想いをしなかった
だから、「僕はできない」と言っている方が良かった。という想いが醸成されていったのです。
自己否定パターンの要因を知る
わたしの中の思い出から出てきた自己否定の要因をご紹介しましたが、
あなたの中にもきっと自己否定を誘発する根本要因がきっとあるはずです。
一つには子供の頃のことを思い出して、その頃に感じた「感情」を感じ直してみることです。
感じることができたなら
根本要因から誘発されてくる自己否定のパターンを把握することです。
わたしの場合、
他の人から自分の行動や言動を否定されたときに自己否定が起こりやすくなっていました。
スケートの事例であれば、
「滑れるようになった!」ということは認められず
「勢いよくぶつかるようなことをした」という行動が母親によって注意されたことが引き金となって、自己否定が起こりました。
大人になった時には
誰かから
あなたのそういうやり方、考え方がダメなのよ
と言われた時に、そのまま自分自身の存在を否定することへと繋がっていきます。
できている部分を認める
最後に自己否定を解消するための一つの方法をご紹介しましょう。
それは
できた部分を「自分で」承認するということです。
わたしのスケートリンクの事例だと。
数時間の練習でスケートが滑れるようになった。
ということを当初は自分で認めていたはずです。
その後、気持ちが昂ってきて「親にも認めてほしい」という思いが強くなり、その強さと共に勢いよく母親にぶつかり、相手の怒りを引き出してしまいました。
このケースでは「親に怒られて、否定された」という部分だけがクローズアップされてしまい
僕はスケートが滑れるようになった
という事実は封印されてしまいました。
親に認めてもらえなかったという想いは、大人になってもそのまま残ります。
親離れが進むと、親ではない他の存在に承認を求めるようになります。
友人、先輩、先生、上司、パートナー・・・
しかし、わたし自身は親に認めてもらえなかった思いが強く残っているので、結局は誰に「承認」を求めても満たされることはありません。
満たされない「承認」は結果的には自己否定へと繋がっていったのです。
今回のポイントは
僕はスケートが滑れるようになった
大人になったわたしに必要なのは
誰かわたしを認めて!
ということではありません。
できていることを自分で認めてあげるということが必要なのです。
![](https://www.ichigojyutsu.com/wp-content/uploads/2022/06/220609-kan02-1015x1024.jpg)
できるもできないも自分
自己否定が働いて「できない、できていない」とするのも自分。
自己承認が働いて「できた。できている」とするのも自分です。
最終的には
どちらを自分が取っていくのか?
それだけのことです。
そしてそれは自由な選択です。
誰に強制されることもなく、あなたは自由に選ぶことができます。
あなたが本当に選びたいのはどちらですか?
あなたが本当は選びたくないのはどちらですか?
自分に正直に生きることを大切にしてみませんか。
自己否定を止める