・意味もなく罪悪感を感じる
・原因不明の罪悪感がいつもある
そんな経験はありますか?
少し前まで、私も「罪悪感」にはよく苛まれていました。
「自分がラクをしたり贅沢をすることの罪悪感」
「みんなと同じ選択をしないことの罪悪感」
「親の期待に応えられないことの罪悪感」
「離婚したことの子供に対する罪悪感」
罪悪感とは「自分に罪があると感じる」ことです。
罪悪感があると、幸せになることを自分に許すことができず、たとえチャンスがあったとしてもそれを受け取らなかったり、わざわざ自分で壊してしまったりします。
大抵は自分でそうしていることに気づかないうちに。
そしてわざわざ大変な思いする方を選択し続けて、罪悪感をそれ以上感じないようにしてしまったりします。
罪悪感があると、本当はしたいこと、本当はありたい自分をどんどん遠ざけることになります。
よく考えたら悪いことをしている訳でもないし、誰かに迷惑をかけているわけでもないのに、自分を罰するかのように1人苦しむのです。
実は「罪悪感」とは、実体のない「幻想」です。
罪があるように「感じる」だけで、実際にそこに「罪」はありません。
この記事では、「罪悪感という幻想」に気付き、そこから自由になって自分らしく生きるためのヒントについて触れています。
罪悪感を手放すとどうなるか?
罪悪感から自由になると、望む人生を生きる方向に自然と進みやすくなります。
自分には罪がある、という‘前提’がなくなるので、自分は自分の好きに生きて良いというところにシンプルに行けるからです。
誰かに申し訳ないと思うこともなく、
好きなところに住んで
好きなことを仕事にして
好きなだけ稼いで
ラクしてうまくいって
幸せになる
という選択がしやすくなります。
(もちろんそうなるためには、一つ一つの選択を自分の責任で決めなければならない面倒くささや、本当はどうしたいのかという本音をキャッチする必要も出てきます)
罪悪感がなくなると、誰に決められることもなく、コントロールされることもなく、自分の人生を(自分の責任で)生きるという自由を手にすることができます。
罪悪感と親子関係
私のクライアントさんを見ていても、罪悪感と親子関係が関係していることは多いように思います。
・家を出たいけど、親を置いて出ることに罪悪感を感じる
・親の収入を超えることに無意識に罪悪感が出る
・本当にやりたいことをやることで、親に心配をかけるのが申し訳ない
などなど。
本来自由であるはずの自分の人生の選択を「親のためにできない」と、なぜか心の中で制限をかけてしまっています。
たとえば冒頭にあげた私が以前感じていたいくつかの罪悪感も、もしかしたら根っこは「親子関係」にあったかもしれません。
たとえば、「ラクをしたり贅沢をすることの罪悪感」。
私の親の世代は、「贅沢をせず、辛くても汗水流して頑張ること」で、戦後の経済成長を支えてきています。
なので、頑張ることや贅沢をしないことが「善」であるというのが体に染み込んでいます。
気づかないうちにそういった親の価値観の影響から、「ラクにうまくいく」「お金をかけて自分にとって豊かな体験をする」ことが「罪」のようにも感じてしまっていたかもしれません。
それから「みんなと同じ選択をしないことの罪悪感」。
小さい時に、親に他の子たちと同じように振る舞うことを求められたように感じる方は少なくないと思います。
「ほら、みんなやってるよ」「そんなことやっている人は他にいませんよ」など、日本では「他の人と同じである」ことは良いことで「自分だけ人と違う」と言うのがNGだったりします。
そうなると、世の中の多くの人と違うと‘自分が感じること’を選択することで「なぜか自分を責める」という構図ができてしまいます。
子供の時に、みんなと同じことをすることで親が安心するのを感じながら大人になると、「親の価値観や期待」に応えられない自分に対して、「申し訳ない」と感じてしまうのかもしれません。
私の親もそうでした。上記のような声がけを小さい時に幾度となく耳にしていた気がします。
私にとって「他の人と同じようにしなければならないこと」は正直苦痛だったと思うのですが、小さい時から若い時までは「他の兄弟と同じように」「世の中の一般的な考え方から外れないように」ということを常に気にしていたように思います。
大人になってもこういった親の価値観に縛られ続けていると、真に自立して自分だけの人生を創造することは難しくなります。
もし罪悪感の根っこに「親の思いに応えられない自分を責める」という気持ちがあるのなら、親の価値観と違う自分の選択が、
「本当に悪いことをしているのか?」
「自分の本音はどうか?」
「それをしないという選択は本当に自分も親も幸せにするのか?」
など、いろんな角度からの問いかけを自分にしてみることをおすすめします。
親の価値観にしたがって生き、‘親が考える幸せ’をたとえ手にしたとしても、本当に自分が幸せを感じられることはほとんどありません。
よく言われることですが、自分を幸せにしてくれる人は自分しかいないのです。
罪悪感の原因
私も親の価値観にない自分がやりたいことをやろうとすることに、親がこう思うんじゃないか、悲しんだり、傷つけるんじゃないか、という思いが出てきて躊躇してしまうことは多くありました。
前述したように罪悪感の原因には、幼少時から持っている「親の期待に応えられなかった」「親を喜ばせられなかった」ときの悲しみや自分を責める気持ちが絡んでいることが少なくありません。
そんな消えない思いを支えている根本原因としてはこんなものがあります。
・自分にそもそも生きる価値がないのではないかという想いを産むバーストラウマ
・自分は愛されていないのでないかという不安を産むインナーチャイルド
・過去生のトラウマ
これらの一つ一つについてここでは詳しく触れませんが、こういった根本原因を取り除いていくことで、根源的な罪悪感が自然と薄れていくことがあります。
また、根本原因を扱わないまでも、そもそも本当に親が期待していること、心から喜ぶことは、「こどもの幸せ」です。前述のような幼少時の声がけも、当然ながら子供の幸せを思ってのことだったはずです。
子供の幸せを思うからこそ、いろいろな期待をしたり自分の価値観を押し付けようとする(ここが大抵は余計なのですが^^;)
→子どもは親の期待に応えられない自分を責める
→小さな罪悪感が重なって、自分の人生の自由を制限する
→自由でも幸せでもない人生の日々を積み重ねる
かなり雑にまとめてしまっていますが(笑)、このように親としては「子供の幸せ」からスタートしているのにもかかわらず、積み重なる罪悪感の存在によって、そのゴールは子供の「不自由で幸せを感じられない人生」になってしまうのです。
子どもの方も、「親を安心させたい、喜ばせたい」という思いがあって「自分の思い通りに生きない」という選択をしてしまっているという意味では、このループはやっぱり捻れていると言えるでしょう。
そこまでわかると、正常なループに戻すためにできることはシンプルです。
意味のない罪悪感を手放して、自分が思うように生きて幸せになることができれば、(その途中で親の価値観から外れてしまうため、それまでの親との関係性は変化することになりますが)、親の本当の望みも達せられるということになります。
自分でできる罪悪感の外し方
それでは罪悪感を手放すには、具体的にはどういった方法があるでしょう。表面的なものであれば、以下のように自分の考え方や見方を変えることで外せる場合もあるかもしれません。
・罪悪感は幻想。「自分に罪がある」という思い込みは真実に基づいていないことに気づく。
・罪悪感はあなたの人生から自由を奪う「人生のワナ」であることに気づく。
・罪悪感を支えているのは根深い「自己否定感」。自分が生きている価値を感じられることをすることで自分で自分を承認していける。
まとめ
罪悪感を外すためには、自分には思う通りの人生を作っていくことができる力があるというところに立つ必要があります。
罪悪感は幻想なので、うまく外せたらもう戻ることはありません。罪悪感から解放されると、良い意味で「自分は自分」というマイペースな生き方ができるようになります。
「自分に罪がある」という幻想がなくなることで自分の本音をキャッチしやすくなるし、それに従って行動することもしやすくなると思います。
罪悪感を手放せたら、自分を責め続ける不自由な人生から解放されて、やった分だけ自分を認められるようにもなっていきます。
「誰かに幸せにしてもらう」依存型の幸せから、「幸せになることを自分に許せる」人生に変わっていくでしょう。
歪んだ親子関係についてはこちらの記事も参考にしてください。