相手を”ゆるす心”が、自らの環境を変える。

日常生活、社会生活を過ごす私たちにとって、腹を立てることや不足不満に思うことばかりが世の中にあるように感じます。さらに、身近にいる人の中にも、自分の都合のみで行動し、思い通りにことが運ばなければ、周囲の人を責めている人も多いように感じられます。

多くの人と共に接しながら生活している私たちにとって、腹を立てることや不足不満に思うことも、自分の思い通りに物事が進まないことが“仕方のないこと”と割り切ってしまえばいいのかもしれませんが、それほどの余裕を持つことができないのは我々の考え方の一部と言えるでしょう。

そして、どうしようもないせめぎ合いや葛藤の中で生活をしている私たちにとって、仕方のないことと割り切っていても互いに責め合っている現実があるように考えられます。

少しその物事と距離を置いて、冷静に考えられるようになると、いくら互いに責め合っても状況は好転することなく、むしろ困難な結果へと近づいてしまうと考えられるようになってきます。そして、互いに責め合ったところで問題は解決しないということがわかってくるのです。

多くの人とともに生活をしている私たちは、お互いに責め合いながら生活していくことを望んではいないはずです。むしろ、より良い人間関係を築き、お互いに気持ちの良い生活を送りたいと考えていることでしょう。

そうしたより良い生活を送るための考え方のひとつとして、“責める心”から“ゆるす心”への転換を提案してみたいと思います。周囲の人と協力し合い、これまでにないものを生み出す力となり、さらにそれを育み送り出す役割は、人である私たちにしかできない行為です。

そして、家庭を豊かにし、地域社会をより良く発展させることのできるひとつの考え方として“ゆるす心”について考えを深めていってはいかがでしょうか。

 

この記事の目次

1、私自身ですら、私の思っているような人間ではない

私自身ですら、私の思っているような人間ではない

会話をしている時に、ついつい「私のことは、私が一番よく知っています!」と声を荒げてしまう方がいます。しかし、冷静に考えてみると自分は自分のことをどれだけ知っているのか…疑問が残るものです。

人は「理性」が働いている時は、自分のことがわかっているように思い、「感情」的になると自分を見失うこともあるでしょう。

一方、自分の「能力」については、限界を感じたり、可能性がみえたりと、時と場合によって変化します。

つまり、自分の知っている自分は、氷山の一角に過ぎないといえるのです。

例えば、自分は冗談のつもりで発言したことでも、相手には深く傷をつけてしまうことがあります。そうなると、傷ついた人は、親切な人だとは評価しないばかりか、接点を持つことさえ嫌気がさしてしまうこともあるでしょう。

また、一方で傷つけるようなことを言わず、会うたびに食事に誘ってくれ、ご馳走してくれる相手には、親切な人だな…優しい人だな…と評価をする傾向もあるでしょう。

日常生活を振り返った時に「自分は親切な人間」と思っていても、他者からの評価はまったく違うものになっていることがあります。さらに、他者から「冷たい人」と否定的な評価をされていることを知ると、少なからず傷つくものです。

しかし、そういった出来事が起きた時こそ「なぜそのようなことが起こってしまったのか」を冷静に考えることが、求められるのではないでしょうか。

私たちは日々の生活の中で、多くの人と接しながら暮らしています。日常生活や社会生活で出会う人それぞれに個性があると意識しておくと、他者に振り回されずに、情報を得ることができます。

その個性については、生まれ育った土地や環境、これまでの人生で養われた様々な価値観によって異なっているということを理解しておくとよいでしょう。

そうなると、同じ場所で同じものを見ていても、感じ方は十人十色であることが自然とわかってくるのではないでしょうか。

人生全体における対人関係は、違う個性をもった不特定多数の人との交わりです。ある場面では嫌われるかもしれませんし、またある場面では好かれるかもしれません。

他者の評価とは、その人の目線による評価ですので、自分のことを正しく見ているとは、一概に言い切れません。なぜなら勘違いや誤解が生じていることがあるからです。

「私自身ですら、私の思っているような人間ではない」と少しでも感じる場面に出会ったら、違う人間としての捉え方があるかもしれません。この瞬間を逃さず捕まえて、周囲が自分のことをどのように評価しているのか、冷静に分析してみてはいかがでしょうか。

 

2、一人では何もできない存在

一人では何もできない存在

大きな組織に属したり、都市で生活したりするなかで、個々に持っている”自分らしさ”という人間性が失われてしまうことがあるようです。全ての人に当てはまるわけではありませんが、もしかしたら大きな渦の中で、自分自身の価値を喪失していることすら感じることができなくなっている可能性もあるかもしれません。

そうなると、強くて頼もしいと感じる人も、ひとりでは何もできない弱い存在だということに気がつく日がやってきます。しかし哀しむ必要はないのです。なぜなら、私たちの日常は多くの人の働きによって支えられていることを、忘れていただけなのですから。

遠方まで便利に行くことができる公共交通機関、中距離では車やバイク、自転車があります。また、自分好みの服を選んで、服を着ること。好きな食事を作って食べる行為などは、多くの人の手によって作られ、与えられたものばかりです。

振り返って考えてみれば多くの恩恵に預かり、生きている…。いや、活かされている私たちなのかもしれません。

もし、誰の手も借りずに生きていくとすれば、“全て自分の手で作り出さなければならない”ということになります。しかし、私たちは生まれた時から、多くの“人”に助けられて、今ここにいるのですから、今更不可能なことだと思えるのではないでしょうか。

また、大勢の前で虚勢を張ったりしていても、ひとりになるとどうしようもなく寂しくて、虚しくて、人恋しくなる感覚を持ち合わせている私たちにとって、ひとりで生きていくことは困難なことと受け止められるのではないでしょうか。

今からでも遅くはありません。意識を改めてみてはいかがでしょう。

私たちの生活は、多くの人々や環境によって支えられているということをしっかりと理解し、さらに活かされて今があるといった実感を得て、生きていくことに意識を向けていかれてはいかがでしょう。

 

3、相手も自分も感情を持っている。

相手も自分も感情を持っている。

私たちは、自分のことは棚に上げて、相手の欠点を見つけては責めるということはないでしょうか。このように問われると“全くない”と言い切ることができない人も多いことでしょう。

私たちは皆同じ人間であるのだから欠点は必ずあるものです。自分自身の利益・幸福・快楽を求めて、他者の立場を全く考えない欲求に飲み込まれている可能性があります。さらに「他人を思いやる行為でも、その心理を掘り下げると、実は自分の利益のためにしている」ということになるようです。

しかし、ここでは行動する本人がそのことに気がついていないかは問題ではありません。大切なポイントは「誰かのために動いたつもりでも、実のところは自分のために動いた部分がある」ことを知っておくことです。

とはいえ、なかなか見ることができない自分自身の心をどのように見つめていったら良いのでしょうか。自分自身の心と対話することは非常に大切なことという考え方は多く聞きますが、実際に効果的な方法は見つけることは困難であると言えるでしょう。

ここでひとつの効果的な方法を提案するならば、「コミュニケーション力」です。日常的にコミュニケーションを取っている場面を思い返してみてください。多くの人とともに日常生活を送るため、仕事の効率を上げるため、友人知人と出かけるためと、いろいろな場面で“コミュニケーション”という言葉とともに、活用している私たちがいるのではないでしょうか。

普段から活用しているコミュニケーションを、自分自身の心と向き合うために使ってみてはいかがでしょうか。

環境を変化させる道筋は色々とありますが、まずは自分自身の心とコミュニケーションをとるようなイメージで向き合ってみると、これまで気がつかなかった自分自身の想いや感情に出会うことができるでしょう。すると、周囲の人間関係もより善い方向に進み始めます。この瞬間が、問題解決の転換点です。

そして、「自分が相手に感じた感情は、相手も自分に感じている感情かもしれない」と想像してみることが、さらに善い効果を生み出していくでしょう。

こうした視点転換を行うことは、他者よりも自分自身を知ることから体感させてくれるものです。さらに続けることで、周囲の人たちの助けも受け入れやすくなり、日々の生活の物の見方や考え方の軌道修正を重ねていくことが可能となるのです。

 

最後に【ゆるせる心をもとう】

最後に【ゆるせる心をもとう】

自分という人間をあらゆる角度から見つめてみると、いろいろな自分が出てくるようです。なかでも「人を責める」という立場からみると、『人を責めたて、批判することができる立派な人物なのか』といった疑問がみえてきます。しかし、批判をすることが悪いというわけではありません。

重要なことは、相手に伝える言葉の裏側に思いやりの心があるか、ないかという点です。思いやる気持ちを持って接すれば感謝されることも多いでしょう。もし、責め立ててしまえば、反感だけでなく恨みを持たれることにすらなりかねないので、批判は心の中に閉まって、思いやりを持ちたいものです。

人である私たちは、人に厳しく己に優しく過ごすのではなく、「人に優しく、己に厳しく」の認識を少しだけ強く持って、自分自身を省みる時間を作り、他者が何を考えていたのかを振り返る時間を作ることで、自分の心の中にゆとりが生まれ、次第に“ゆるせる心”を築いていくことができるでしょう。

しかし、日常的にそうした行動をしていこうとしても、自分の価値観を喪失していると、他者に対して“ゆるす心”は持ちづらいものです。そのような時は、これまで自分を支えてくれているあらゆるものに対して、「ありがとう」と感謝の気持ちを言葉に発してみることから始めてはいかがでしょうか。

きっとこれまで自分を支えてきてくれたものに気がつかせてくれるだけでなく、多くの方々に向けて暖かな優しさを与えていくことが叶うことでしょう。

 

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この記事を書いた人

1980年11月、千葉県生まれ。

1999年4月、建築設備業(空調設備・給排水衛生設備・修理、保守管理)の会社に入社。在籍中は、現場監督・営業職・社内経理等を担当。専門技術者として経験を積む。

2010年4月、民間の社会教育団体に入所。前職の経験を活かしつつ、”心の働かせ方”について学ぶ。さらに、「心の働かせ方・考え方」に関するセミナーを全国約1,200会場、講師として経験する。同時に、企業向け情報誌の執筆や経営者を対象に心の経営指導にも従事した。

2017年6月、これまでの経験を活かしつつ、多くの方々と共に”心”の勉強をしていく為の場所として「NextStage(ネクストステージ)」を立ち上げる。現在の活動拠点は、神奈川県三浦市、千葉県南房総市、熊本県菊池郡に置いている。また拠点に関わらず、連絡を受ければ全国何処にでも行動する瞬発力をもって、活動展開をしている。

HP:https://nextstage-iida.amebaownd.com

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