「あの人、空気読めないよね(KY)」という言葉があります。
人に「空気読めないよね」と言われるとちょっと傷つきます。
嫌われるのではないか?その場に馴染んでいないのではないか?
いろいろな思いが錯綜します。
わたしはよく言われます。
でも、私の場合「空気読めない人」と言われるとちょっと嬉しくなったりもします。
それには、いくつかの理由があります。
空気を読んで周りに合わせる
「空気を読める人」というのは、
周りの状況を理解する。周りの状況に合わせられる。波紋を作らない。穏やかに。というのがわたしの理解、解釈です。
例えば、講演会や授業中、クラシックのコンサートなど多くの人が静かに聞いている場所で大きな声を出すというのは、とても勇気がいる行為です。
私はそんなことはとても恥ずかしくてできません。だから、周りに合わせて静かにじっとしています。
逆にお客さんの多くが立ち上がって『コール&レスポンス』で盛り上がっているライブ会場で、一人椅子に座って静かに音楽を聴いている。
これも楽しみ方の一つではありますが、熱狂的に盛り上がっている人たちからすると「空気が読めてない冷めている人」に映るかもしれません。
楽しみ方は人それぞれですが、周りのお客さんから浮いているような存在に思われているのではないか?と「自分だけが圏外にいるような疎外感」を感じたくないので、周りに合わせた楽しみ方をします。
空気を読んでしまうのは幼少期の体験から
周りの状況に合わせて「どうしても空気を読んでしまう」という経験はないでしょうか。
その要因の多くは幼少期の体験にあります。
例えば、歌を唄うことが好きだった子供が、好きな歌をところかまわず唄ってしまい親に怒られた。という経験から、
- 人前では大きな声を出してはいけない
- 他の人より目立ってはいけない
- 小さな声で話しをしないといけない
- 歌ってはいけない
- 好きなことはしてはいけない
- 楽しんではいけない
- 楽しいことをしてはいけない
というように、元となる要因はまったく別のことであったとしても、小さな子供の心は傷つき、両親に怒られないようにするために別の人格を形成しようとし始めます。
それが大人になり、根本的な人格や性格に大きな影響を与え続けています。
空気を読まずに自分から動く
例えば、今読んでいただいているこの記事。
わたしは積極的にたくさんの記事を投稿することを心がけていますが、一方で「ちょっとビビっている私」が存在しています。
ここで他に投稿している方は私よりも学歴が高い方、知的な方、経験が豊富な方、高いキャリアの方等、一般的な価値観や評価基準で考えれば「自分という存在なんてとてもかなわない・・・」そんな方が勢ぞろいしています。
私の場合、他の方の記事を読むことで参考になると同時に「自分にはこんな高度な内容は書けないよ」と否定的になってしまいます。
ですので、他の方が投稿された記事を見てから、様子を見て(空気を読んで)自分も書きだそう。と思うと書き始めることができなくなってしまいます。
できることをやってみる
そこで、わたしは自分ができることをとにかくやってみる。
とにかくたくさん記事を書いてみる。という方法を選びました。
私には知的レベルの高い記事はとても書けない。でも、日常的な気づきを分かりやすく記事を通してお伝えするというのはできるかもしれない。
という思いから、とにかく日常の中に記事を書くためのキーワードやヒントを求め、気づいたことを深掘りして文章として分かりやすくお伝えする。ということに意識を向けるようになりました。
できることからまずは取り組み、
そして、取り掛かったことをしっかりと完了させる。ということです。
評価を気にしない
わたしがここで投稿する記事がどのように見られ、評価されているのかは分かりませんが、評価はあえて気にしないという選択をしています。
一つには、わたし自身が評価を気にし始めると記事が書けなくなってしまうからです。
もう一つは
他人にどう思われようと、自分が決めている自分自身に対する価値と他人の評価とは関係が無いと考えているからです。
時と場合によって評価はとても重要な指標になります。
しかし、他者からの評価を気にするあまり前に進むことができなくなることもあります。
そんな時は、評価はひとまず別にしておき、自分の価値基準の中だけで進み続けるという方法もあります。
空気を読まずに始める
私のここでの記事投稿を事例としてご紹介しましたが、もし何か新しいことを始めるのであれば「空気を読まずにとにかく始めてみる」というのはおススメの方法です。
過去のビジネスの事例をみても、空気を読まずに我が道を進むことで、独自のサービス、商品、マーケットを獲得してきたビジネスはたくさんあります。
「空気を無視する」ということではなく、意識の中に置きながらも自分の進むべき道を進むという感覚です。
やってみることで分かることがある
求められる仕事の内容によっても変わりますが、完成度が低い状態であっても問題が無いものなら「とにかく始めてみる」ことは非常に重要です。
始める前はモヤモヤとしていることでしょう。
頭の中だけのイメージの段階では分からないことが実際に取り組んでみることで分かる。ということは多々あります。
料理であれば、クックパッドでレシピと写真をいくら眺めても、実際に料理してみないと分からないことは多々あります。
例えばそれが、フランス料理のフルコースを作るということであれば、レシピを眺めるだけで作る前に「自分にはムリ!」と思ってしまうかもしれません。
実は、同じことを日頃あなたが取り組もうと思っていることに取り入れている可能性があります。
自己評価が高いから始められない
なかなかスタートができない、いつも出遅れてしまう、積極的になれない。
そんな人たちの原因に「自己評価が高い」ということがあります。
自分が取り組もうとしていることを非常に高度なものにイメージの中で作り変えてしまっている可能性があるからです。
例えば、ホットケーキを作るのが目的なのに、見ているレシピはパティシエ指導の販売用のケーキのレシピ。といった感じです。
何かを取り組み始めるときに自分がイメージしている完成度があまりにも高いことで、それは自分にはできない。とイメージの段階で尻込みをしてしまうのです。
最初に「理想像」を幻想的にイメージしてしまうことで、自分が求めるレベルが高くなってしまい、始めることさえできなくなってしまっています。
このような方はご自身に対する自己評価が高い可能性があります。
自分を高く評価しているのは悪いことではありません。ただ、その高い評価が存在しているが故に動き出すことができなくなっているのであれば問題です。
誰が「空気を読めない人」と評価しているのか?
それでは、あなたが「空気を読めない人」だとして、それは誰が決めていることなのでしょうか?
状況によって異なりますが2つのパターンが考えらえます。
①自分が決めている
あなた自身が自己否定的に自分を「空気が読めない人間である」と決めている場合があります。
特に「失敗をした」と思うような経験をした後に、失敗要因や自分を責める要素の一つとして使っています。
②他の人が決めている
「あの人、空気読めないよね」というメッセージを聞いて「私は空気が読めていなかったのか。」と落ち込むとことがあります。それは自分以外の他の人が決めた評価を自分の評価として取り入れることで、自分を否定的に捉えてしまっているからです。
この2つの評価の発生源は他の人です。あなた自身ではありません。
空気を読まないで「マイペース」に生きる
「空気を読む」ことによって、新しいことに取り組み始めることができない2つの理由を書きました。
1つ目は周りの空気を読んでしまい、周りの評価を気にして動き出せない。
2つ目は自分が求める完成度が高いことで動き出せない。
「空気を読まない」で動き始めるということは、上記の2つをスっ飛ばして「まずは動き出してみる」ということです。
あなた自身を大切にする「マイペース」な生き方です。
空気を壊すのではなく「空気を変える」
あえて空気を読まずに、自分から動き出すことを推奨してきました。
お分かりいただけていると思いますが、これは最初の例でご紹介したクラッシックコンサートの静かな雰囲気の中で大声を出して「空気を壊す」ということを推奨しているのではありません。
ある決まった空気感(雰囲気)の中で、自分から動き出すことで「空気を変える」ことが、あなた自身を変えるパワーになるということです。
自分から動き出すことにより疎外感、恐怖心、悲しみ、憎しみ、苦痛、様々な感情が出てくるかもしれません。
それでも、「今の自分を変えたい、抜け出したい」と思っておられるのであれば得られるメリットはたくさんあります。