何をしても「なんか違う」違和感でいっぱいだった私の人生の見つけ方

自分らしく生きていきたいのに、何をしても「なんか違う」って違和感を感じていました。

例えば、こんな時。

おもしろそうって思って行った習い事やワークショップで周りとの温度差を感じたりして「あー、私の道はこれじゃない。。」って感じたり

前は楽しく読んでいたサイトや買い物が楽しくない、とか、何を見てもピンとこなかったりして「求めているものがどこにもない」「むしろ何が好きなのかよくわからない」って気分になったり

新しい人に会うけど、心をいまいち開けなくって「安心できる人と話したい」「もっと他に相性の良い人がいるのかも」って疲れたり

何をしても

何を学んでも

どんな集まりに顔を出しても

「これじゃない」「もっと他にある気がする」そんな気分になる時のことです。

以前の私の人生はこの「なんか違う」で構成されていました。

「自分のほんとうの人生がどこか別の場所にある気がする」

とここではないどこかにリアリティを感じ、

「自分らしいって何なのかがよくわからない、どこにも答えが見つからない」

と不安と焦燥感が入り混じっていました。

「なんか違う」でいっぱいの生活はいつも色あせていて、心が麻痺しているようで、辛かったです。

辛かったけど、今ではその感覚を無視しないでよかったと思っています。

違和感こそが私が見つけたかった、自分らしい人生や自分らしさを教えてくれたからです。違和感を無視しないで向き合ってみたことが私の人生のターニングポイントになりました。

ここでは私の過去を振り返って、「なんか違う」との向き合い方を書いてみようと思います。

この記事の目次

「なんか違う」人生なんて嫌だ!

これは今から10年近く前のこと…(ちゃんと数えてみたらすごい前でした…)

私は自分の世界を広げたくて、いろんな人に会ったり、いろんなものを見に行ったり、アクティブに動いていました。

いろんなワークショップに行ったし、習い事もしたし、いろんなコミュニティに顔を出しました。

なんか、側から見たら意識高い系だったと思います。

それなのに自分の世界は一向に広まる様子がありませんでした。

その場では新しいことを吸収しても、変わった感覚はなくて閉鎖感が消えませんでした。

「こんなに動いてんのになんでだろう」って不思議でした。

私はだんだん焦りを感じ始めました。

「今すぐ答えが欲しい!でもそのために何をすれば良いかわからない…」

そんな感じで八方塞がりでした。

「なんか違う」その強烈な違和感は私を突き動かして、とうとう(?)片道切符を握りしめてアメリカに行きました。

正直アメリカじゃなくてもよくて、アフリカでも北極でもなんでもよかったんだけど、とにかく環境を変えたかったんです。

場所を変えたら本当の自分になれるって思っていました。

でも、それは幻想でした。

アメリカでは学校に通ってみたり、オーガニックファームでファームステイしてみたり、バックパックしてみたり、いろんなことをしました。

帰国した後も、自然を感じられる場所を選んであちこち移動して、北海道、沖縄、富山、京都いろんなところを転々としました。

山小屋で働いたこともあったし、農業したこともあったし、カフェで働いたことも、会社員したこともありました。

書ききれないくらいいろんな場所に行って、いろんなことをしたけど、どこに行っても何をしても「なんか違う」は消えませんでした。

「これだけやって、解決しないって逆に凄くない?」って思いました。

でも、そのまま「なんか違う」って思いながら生きるのは嫌でした。

どうしても、納得できる自分だけの答えが欲しかったんです。

違和感の正体

自分だけの答えがわかれば、それ以外はいらないくらいの気持ちでした。

とにかく、諦めなかった。笑

そんな私は自分の心を扱うようになりました。

それまでは違和感があるから、新しい場所に行ったり、新しいことをしたりしました。

それって永遠にはまらないパズルをやり続けてる感じで手掴み感がなかったんです。これも違う、あれも違う、次はどうなんだろう…って感じでした。

でも、心のことは手応えがありました。やったらやった分、私が求めている答えに近づいていると実感できました。

そうやって取り組んでいくうちに「なんか違う」の正体がわかってきたんです。

「なんか違う」は、本来の自分と今の自分の乖離している合図でした。

単純にやってることがしっくりこないとか、そう言う表面的なことじゃなくて、本来の自分とは全然違う自分を自分だと思い込んで生きている、そのギャップに気がつき始めたんです。

自分のキャラクターを勘違いしていたり

「こうあるべきだ」と感じる自分を気がつかないうちに演じていました。

演じている他人は、頭で思い描く理想の人でもあったし、気がつかないうちにかぶってしまった着ぐるみのようでもありました。作りものの自分を生きているというか、 頭と心がズレているって感じでもありました。

私が感じてきたこの違和感は、本来の自分が作りものの自分を指差して叫ぶ「これは本当の自分じゃない!!」の主張でした。作りものの自分を生きるのが嫌になってきた合図でした。

「なんか違う」から脱出。人生を見つける方法

ここからは私が「なんか違う」と向き合って、本来の自分に出会った方法をまとめてご紹介します。

「なんか違う」が「これは本当の自分じゃない!」という心の叫びなら、聴かない手はありません。ずっと探してきた自分らしさを教えてくれるからです。

自分に嘘をつかない

やりたくないことをやったり、人に合わせたり、できる人でいようと頑張ったり…自分についた嘘は大きな違和感になります。

「こうあらねばならない」「本当はやりたくないけど」と思うことがあるなら、それが違和感の原因かもしれません。

自分についている嘘があるなら、やめてみてください。

いろんな自分がいると知っておく

自分が本来どんな人なのかに目を向けると、相反する自分が同時に内側にいて混乱してしまうこともあるかもしれません。

例えば、人と関わりたい自分と関わりたくない自分、ハッキリ言う自分と言えない自分、内向的なのに外交的、好きなのに嫌い、正反対の感覚が同時に存在することがあります。だから自分がどんな人か一言でまとめるのは難しいと思います。

人は相反する要素を同時に持つことができる複雑な生き物です。

だからまとめようとすることで逆に違和感を誘発してしまいます。

いったん、いろんな自分がいてもいいと許容することで違和感が軽減できることがあります。

親子関係を見直す

親から私たちは想像以上に影響を受けます。

価値観、自分に対するイメージ、習慣、本当に自分のものでしょうか?

実は親に影響を受けたものかもしれません。

見直してみてください。

傷ついた心を癒す

親子関係の中で、私たちの心は傷を負うことがよくあります。それが「なんか違う」を感じる大きな原因です。

心に傷を負うと、もう二度と傷つかないように本当の自分を隠して、自分を守るための仮面を被るからです。

傷つくのが嫌で、強がって、気にしないふり、無神経なふりをしたり

見捨てられるのが怖くて、相手をコントロールしようとしたり

自分を守るために、違う自分を演じます。その演じている自分に隠れていれば、本当の自分はこれ以上傷付かなくていいからです。

今の自分に違和感がある時は、心の傷を癒すことで本来の自分が見つけられるかもしれません。

癒されることで、自分を守るために作った仮面を外すことができるからです。

イライラをうまく使う

もしかして、イライラするのはよくないって思っていませんか。

私はイライラしない人を目指して頑張ってたけど、同じことをしている人は今すぐにやめることをおすすめします。笑

確かに怒りは人間関係を壊すけど、自分の本音を運んでくれる感情でもあるからです。

まとめ

「なんか違う」そう思うのは、本当に今の人生は何かが違うんだろうなと思います。

違和感は、今まで追いやってきた本来の自分が送ってくる、存在アピールです。

「本当の私はここにいるよ」その声が違和感として届いているのです。

いろいろ試してみたり、探してみたけど、何をやってもやっぱり「なんか違う」そう思ったら、自分の心をちょっと戦略的に扱うことを試してみてほしいです。

本来の自分が心の奥で見つけてくれるのを待っているはずです。

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この記事を書いた人

Shioriのアバター Shiori ヒーラー/感情カウンセラー/ヴィーガンパティシエ

何をやっても「なんか違う」
自分の道を見つけられずにいた私が、本当の自分に出会うまでに体験したことや気づいたことを書いています。

ちょっと長いプロフィールはこちらから
https://atelier-umi.net/mystory/

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