はじめに《日系アメリカ人と出会った時の不思議な感覚》
2018年夏から夫の転勤でアメリカのワシントンD.C.で生活することになりました。
現地での暮らしの中で、日系アメリカ人の方々と交流する機会に多く恵まれました。
アメリカに住むのは3回目ですが、彼らの事を深く知ったのは今回が初めてだと思います。
彼らと話しているととても不思議な感覚になります。
当然のことながら、アメリカで生まれ育った彼らは英語を話すアメリカ人なのですが、日本人と話しているような感覚になるのです。
それは外見が日本人と同じだからではありません。
明らかに、心の奥底でつながっている感じがするのです。
なぜそのような感覚になるのか最初は分かりませんでしたが、彼らと交流を続けるうちに日系アメリカ人が和の精神を伝え続けてきたこと分かってきました。
今回は、日系アメリカ人についてと、なぜ彼らが日本から遠く離れたアメリカの地で和の精神を守ってきたかをお話したいと思います。
1.日系アメリカ人の歴史
ウィキペディアによると日系アメリカ人とは「アメリカ合衆国の市民の中で日本にルーツがある人々のこと。狭義では、第二次世界大戦以前に日本からアメリカ合衆国に移住した人々及びその子孫のことを指す。」とあります。
19世紀末頃から日系アメリカ人の歴史は始まります。
初めてアメリカに渡った日系一世と呼ばれる人達とその子供達の二世は移民当初から貧困と差別で大変な苦労をしました。
特に、第二次世界大戦中は苦労して築いた財産を全て没収されて約11万人が全米10ヶ所にある強制収容所に収監されました。
更に、多くの二世はアメリカ合衆国への忠誠を誓うために志願兵として戦地に赴きました。
日系二世で構成された第442連隊戦闘団は「Go for Broke(当たって砕けろ)」を合言葉に大活躍し、18143個の武勲章と9476個の名誉戦傷賞を受賞し、アメリカ軍史上最も多くの勲章を授与された部隊の栄誉に輝きました。
しかし同時に累積戦死傷率314%という最も損害を受けた部隊としても記録されています。
また、アメリカ軍部隊の中で当時のトルーマン大統領から「諸君は敵のみならず偏見とも戦い勝利した。」と直接賞賛を受けた部隊でもあります。
しかし、442部隊の大活躍があったにも関わらず、戦後しばらくの間も差別と偏見に苦しむことになります。
それでもアメリカ社会に溶け込むために他の民族系アメリカ人のように集団で固まることを避け、民族性を抑えて、アメリカに同化するように努力してきました。
日系一世の人達は勤勉に働き、収入を自分のためには使わずに子供達の教育に注ぎました。
その結果、現在では多くの日系アメリカ人がアメリカ社会で高い地位につき活躍しています。
2.元第442連隊戦闘団兵士テリー・シマさんとの出会い
2019年2月にテリー・シマさんという第442連隊戦闘団の退役軍人の方と出会いました。
96歳のシマさんをワシントンD.C.郊外の老人ホームに訪ねた時、シマさんは約束の時間に玄関ホールの椅子に座って待っていました。
しっかりとアイロンのあてられたスーツの襟には日本から授与された旭日小綬章の略綬がつけられていました。
シマさんは第二次世界大戦中に第442連隊戦闘団の広報部隊として勤務していました。
そのため、96歳になった今でも当時の日系人について伝える語り部として活動をされています。
シマさんはクボ・ホウイチさんという日系人兵士のお話をしてくださいました。
第二次世界大戦中には多くの日系二世はMIS(Military Intelligence Serviceの略。アメリカ陸軍情報部)の語学要員部隊として太平洋戦争に派遣されていました。
英語と日本語の両方を熟知している二世達は日本軍の暗号の解読・翻訳、文書の分析、投降の呼びかけ、捕虜の尋問といった任務に従事していました。
クボさんもMISとしてサイパンに派遣されていました。
現地では100名以上の民間人を捕虜として8名の日本兵が洞窟に立てこもっていました。
日本兵はクボさんを「裏切者」として殺害したり、集団自決する危険もあったのですが、クボさんはたった一人で洞窟に入り8名の日本兵に投降するように日本語で根気強く説得し続けました。
「生きて日本の家族のもとに帰って、戦後の日本の復興のために努力してください。」
そう呼びかけるクボさんに対して、日本兵は「お前は姿形は日本人で日本語を話すのに何故アメリカのために戦う?」とクボさんを問い詰めました。
するとクボさんは平重盛の言葉を引用してこう答えました。
「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」
自分が生まれた国のアメリカに忠誠を誓えば日本と戦うことになり、日本人の親に逆らうことになる。
親に孝行しようと日本の味方をすれば、アメリカを裏切ることになる。
自分は大切なものに板挟みになりとても辛く苦しい状態なのだと訴えました。
クボさんが説得を終えた2時間後、日本兵8名と民間人全員が洞窟から出て投降したそうです。
親の祖国であるというだけでなく、日本をルーツに持つクボさんが命を懸けて「生きろ」と呼びかけたことが日本兵の心に響いた結果だと思います。
テリー・シマさんからこうした日系人のお話をたくさん伺った後、再会を誓って老人ホームを後にしました。
玄関の外まで見送りに来てくださったシマさんに「寒いのでこちらで結構です。中に入ってください」と言ったのですがシマさんは黙ってその場に立っていました。
少し離れた場所に駐車した車に乗り込み、振り返ると、極寒の中でシマさんはコートも着ずに同じ所に立っていました。
そして、私達の車が見えなくなるまで見送り続けてくれたのです。
昔の日本人はシマさんのようだったのだと思います。
一期一会を大切にし、相手を敬い、仲間を大切にする。
96歳になった今でも日系アメリカ人として誇りを持ち、語り続けているシマさんの生き様に触れて私の中で何かが動くのを感じました。
3.ハートマウンテン強制収容所跡への巡礼の旅
ハートマウンテン強制収容所は1942年から1945年の間に10767名の日系アメリカ人が収容されていました。
日本でも観光地として有名なイエローストーン国立公園から100㎞という立地にあり豊かな大自然の印象が強い場所ですが、それは同時に、厳しい自然環境の中に強制収容所があったということになります。
夏は短く冬は凍てつくような寒さの中での生活は想像を絶する苦労があったと思います。
2019年7月にワイオミング州のハートマウンテンという場所にかつてあった日系アメリカ人強制収容所跡地への巡礼に参加しました。
8年前から始まったこの巡礼に全国から200名以上の人達が参加し、毎年、当時の生活を知るワークショップなどが開催されています。
参加者のほとんどが強制収容所に収監されていた人の家族や遺族ですが、中には何かのきっかけで日系人の歴史に興味を持って参加した日系人以外のアメリカ人も見かけました。
第二次世界大戦で前述したような大活躍をしたにも関わらず、日系アメリカ人の歴史はアメリカでもあまり知られていません。
それは、当時を知る日系人のほとんどがアメリカ社会に溶け込むために民族性を抑えていたこともありますが、子供達や孫達に辛い経験を話したくなかったというのも大きな理由だと思います。
ハートマウンテン財団理事長のシャーリー・アン・ヒグチさんのご両親もハートマウンテン強制収容所で過ごしました。
しかしその事をシャーリーさんが知ったのはお母様が老いて病床に伏せるようになった時だそうです。
お母様は子供達には内緒でハートマウンテン強制収容所跡地を維持する活動をされていて、シャーリーさんにその役割を継いで欲しいと打ち明けたそうです。
シャーリーさんご自身は他のアメリカ人同様に何不自由なく生活し、高い教育を受けて弁護士として活躍されています。
日系アメリカ人である自分が豊かに幸せに暮らしていられるのはご両親をはじめ多くの一世と二世の苦労と努力があったからだと知った時、本当に平等で平和な世界を作るために日系人の歴史を後世に伝えていかなればいけないと思い、現在、お母様の遺志を継いで活動をされています。
巡礼の旅の最中に「日系人の歴史を風化させては一世と二世に申し訳ない。彼らの経験を未来に生かさなくては」と涙ながらに話す彼女を見て、同じ日本をルーツに持つ者として誇りに思うと同時に、多くの日本人が失いかけている何かを日系人達は大切に受け継いできたのだと思いました。
おわりに《和の精神の再生》
「日系人達が受け継いできた何か」とは和の精神ではないかと思います。
日本はアメリカとの戦争に負けて自尊心を失いました。
戦後の貧しさから立ち直るために必死で働き豊かな社会は手に入れましたが、経済的な豊かさの先の日本の未来をどう思い描いていいのか迷っている状態なのではないでしょうか?
日本人は本来、家族、友人、社会、自然など自分を取り巻くモノ全てを自分同様に思える民族です。
全てが調和している状態こそが本当の幸福であり、その状態を守ってきたのが和の精神だと思います。
しかし戦後、日本ではその和の精神が徐々に弱まってしまったように感じます。
実は、アメリカへ移民した人達には和の精神を守るという重要な役割があったのではないかと感じています。
移民の主な理由は日本での貧しい生活から脱して新天地アメリカで成功して故郷に錦を飾ることでした。
しかし本当は、その先に待ち受ける日本の運命を潜在的に予測して和の精神を日本から持ち出して守るために移民したのではないかと思うのです。
荒唐無稽な話に思えるかもしれませんが、実際に日系アメリカ人と交流して、彼らの事を知れば知るほどそう思えてならないのです。
日系四世、五世という移民してきた先祖の事をほとんど知らない世代にも調和を大切にしようとする和の精神を感じるのには人知を超えた深遠な理由が存在するのではないかと思います。
彼らの和の精神に触れていると、私達日本人が失いかけていた和の精神に火が灯るような感覚があります。
その不思議な感覚をより多くの日本人に伝えたいと思い、2019年9月にワシントンD.C.で日系人との交流を目的に合唱公演を行いました。
今を生きる人合唱団のワシントンD.C.公演~Reunion~についてはまたの機会にお話したいと思います。