許せない相手を好きになる方法

許せない相手を好きになる方法と聞いて驚いた人も多いのではないでしょうか。

もちろん、誰にだって許せない相手の一人や二人はいるでしょうし、別に好きになろうと思わない、許せないままで構わないと思っている人もたくさんいるでしょう。

最初に断っておきますが、許せない相手を好きになる事が優れている訳ではありません。逆に、許せない相手を許せないままにしておく事が劣っている訳でもありません。

結局はどちらの生き方を選ぶかに掛かっているのです。

どちらの選択にもメリットとデメリットは存在します。

例えば、許せない相手を好きになれば今よりもリラックスできるでしょうし、逆に、許せない相手が存在する事で相手を見返そうと今よりも頑張れたりするでしょう。

あなたはどちらの生き方を選びたいのか目をつぶって感じてみて下さい。

そのうえで、あなたが許せない相手を好きになる人生を選びたいのであれば、この記事がお役に立てるかもしれません。

この記事の目次

1.許せない相手を嫌いになる

許せない相手を嫌いになる

許せない相手を好きになる方法と書いておきながら、許せない相手を嫌いになるとは何事だ、と思った人も多いでしょう。

ですが、これには理由があります。

「相手を許せない」というのは大体反応的に起こります。

反射的に体が戦闘態勢を取っている訳です。

何が言いたいかというと、あなたの意志に関係なく身体が動いているという事です。

突然嵐がやってきて、訳の分からない内に巻き込まれて、嵐が去ったら意識を取り戻した、みたいな感じです。

正直、自分でも何が起こったのか良くわかりません。

まずはそこから抜け出して冷静になる必要があります。

そのためには、相手を許せないと感じたら「○○○○が許せない」と心の中で決めましょう。

ただし、その場面は突発的に起こるので、許せないと感じている瞬間に「許せない」と決めるのは難しいかもしれません。

そんな時には反応が過ぎ去った後に許せなかったんだ」と選択しておきましょう。

どうしてこんな事をするのかというと、自分の気持ちをごまかさないためです。

人は「相手を許せない」と反応的になった後、罪悪感に駆られる事があります。

何であんな事をしてしまった(言ってしまった)のだろう、と。

罪悪感を感じると、人は目の前の出来事から目をそらします。

そうなると、「許せない」と感じているはずなのに、そんな事がなかったかのように振る舞います。

つまり、自分の本音をごまかしている訳です。

そうなると、「許せない」という反応に対して冷静になるどころか、むしろ積極的に反応的になろうとします。

その方が「許せない」を感じなくて済むからです。

この悪循環を断ち切るためにも、あなたの意志で「許せない」と決める事が重要になってくるのです。

あなたが「許せない」と認める事ができれば「許せない」という反応に振り回される事も少なくなるでしょう

 

2.類似性を見つける

類似性を見つける

許せない相手というのは絶対に解り合えない異質なもののようで、でも実はあなたと同じ性質を持っています。

例えば、あなたが勤勉さを大事にしている場合、不真面目な人や怠けている人を見ると許せないと感じる事があるでしょう。

他にも、あなたが礼儀やマナーを大事にしている場合、マナーを破っている人を見るだけでイラッと来るかもしれません。

なぜこのような事が起こるかというと、人は自分自身では当たり前と思っている常識を周りの人に当てはめて、相手をジャッジしているからです。

ですが、よくよく考えてみると、全ての人があなたと同じ家庭環境に育った訳ではありません。

住んでいるところも当然異なれば、住んでいる住居(一軒家or借家)も、幼い頃の交友関係も、性格も、両親の仕事も、両親の年収も、両親の教育方針も、全て異なります。

例えば、両親がちゃらんぽらんに生きていて勤勉さを学ぶ機会がなければ、その子にとっては勤勉に生きるなんてもってのほかで、ちゃらんぽらんに生きる事こそが正しいと信じている訳です。

そうなると、あなたにとっては常識と思える事であっても、相手から見れば非常識になります。

つまり、あなたにとって許せない非常識な人はこの世界にかなりの数いる訳です。

それに対処するには、あなたが自分の常識という色眼鏡で周りの人をジャッジするのをやめるのが手っ取り早いでしょう。

 

ところで、人はどうして自分の常識という色眼鏡で周りの人を見てしまうのでしょうか?

それは、自分の価値を守るためです。

例えば、勤勉に生きている人にとって、勤勉に生きる事が大事な訳です。

それは、両親からの教えというのもあるでしょうし、勤勉に生きる事によって両親に認めてもらえる、つまり両親から愛される訳です。

そんな世界で生きている人にとって、目の前に勤勉じゃない人が現れたらどうでしょう?

勤勉に生きる事をもっとも大事にしてきたはずが、勤勉じゃなくても生きていける人生があると知ったら、今までの自分の人生が根底からひっくり返される訳です。

それはもう恐怖でしかありません。

そこで、勤勉な人を善、勤勉じゃない人を悪とし、勤勉じゃない人を攻撃する、つまり許せない存在とする事で自分の価値を必死に守ろうとしているのです。

そんな訳で、自分の常識という色眼鏡で人をジャッジするのをやめる、というのは、自分自身の存在価値を捨てる必要があります。

頭では納得できても、心ではそう簡単に納得できないでしょう。

そのため、まずは許せない相手との類似性を探すところから始めましょう。

相手の何が許せないのか、それが納得できれば十分です。

 

3.世界を好きになる

世界を好きになる

他人を許せないというのは、即ち自分の事も許せないと言えます。

自分と異なる価値観を持っている人を許容していない訳です。

先程の勤勉さを例に出すと、勤勉じゃない人が許せない人は、自分自身が勤勉な内は自分を認める事ができるものの、勤勉じゃなくなったら自分を認める事ができなくなります。

勤勉じゃない自分に不安や恐れを抱いたり、時には罪悪感を持って自分自身を罰したりします。

勤勉じゃない自分が許せない相手同様悪に見える訳です。

でも、実際は勤勉な自分もいれば、勤勉じゃない自分もいます。

他人だけでなく自分自身も含めたこの世界全てを善悪でジャッジし続ける限り苦しみは止まりません。

 

そこから抜け出すには、この世界をありのまま認めて好きになる必要があります。

どんな価値観を持っている人でもそれを拒まずに等しく受け入れる訳です。

それは善も悪もない世界へ移行する事を意味します。

その方法として、自分を好きになるところから始めましょう。

自分自身を好きになっている状態でないと相手を受け入れる余裕は生まれません。

では、どうすれば自分自身を好きになれるのでしょうか?

それは、自分自身の嫌いな部分を好きになる事です。

方法は、自分自分の嫌いな部分についてメリットとデメリットを同じ数だけ挙げて行きます。

同様に自分自身の好きな部分についてもメリットとデメリットを同じ数だけ挙げて行きます。

そうする事で、自分自身の嫌いな部分にも好きな要素が入っていたり、逆に好きな部分にも嫌いな要素が入っていると気付いたりします。

そうやって自分の価値観をストレッチして、ガチガチに固まっている固定観念を緩めていきましょう。

自分の嫌いな部分が気にならなくなってきたら、自然と善悪の価値観から抜け出して、他人も許せるようになります。

 

最後に

許せない相手を好きになる、をテーマにここまで話をしてきました。

結局のところ、自分自身の存在に価値があると無条件に信頼できるようになれば誰かを許せないと感じる事もなくなる訳です。

そこに近付くための方法をいくつか話しましたが、人によってはあまりピンとこない内容だったかもしれません。

それでも気にしないでください。

どんな方法も人によって向き、不向きがあります。

あなたに合わなければ別の方法を探しましょう。

相手を許す方法は無数にあります。

その中からあなたがピンと来たものを試していって、自分に合った方法を探していきましょう。

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この記事を書いた人

イチゴリズムのマスコットキャラクターです。

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