トイレットペーパーで自分を見失うのはなぜか?

トイレットペーパー のない世界になったら?

多くの日本人がトイレットペーパー が無くなると聞くと焦りました。

2020年春。

日本人の多くはトイレットペーパー を買うために奔走しました。

人によってはトイレットペーパー が無くなることで「生きるか死ぬか」の瀬戸際まで自分自身が追い込まれてしまったような感覚になっていた人もいるかもしれません。

ところが視点を少し広く持って、世界を見てみると

トイレットペーパー が無い生活をしている人はたくさんいらっしゃいます。

トイレットペーパー が手元から無くなってしまうことによって

まるですべてを奪われたかのような感覚になってしまう日本人ですが

「トイレットペーパー のない世界」をイメージした時

あなたの中にはどんな世界が浮かび上がってくるでしょうか?

  • 今と変わらない世界でしょうか?
  • 不衛生で汚らしい世界でしょうか?
  • 生きていることが苦しくなる世界でしょうか?
  • 生きることへの自信が深まる世界でしょうか?
  • 今よりもキレイな世界でしょうか?

今回はトイレットペーパー のない世界をイメージしながら読んでみてください。

この記事の目次

人間が生存するために必要な排泄

人間の基本的な機能として「排泄」があります。

人間が人間としての機能を維持し、健康な肉体を維持、管理し続けるためには排泄は非常に重要な機能です。

排泄を止めることはできません。

排泄を一定の時間、意図的に止めることができたとしても身体に負担がかかり、心理的ストレスも発生します。

排泄の行為自体にトイレットペーパー は必要ありませんが、

排泄をした後にはトイレットペーパー でキレイに拭き取るのが日本では当たり前の感覚です。

トイレットペーパー があることで排泄をすることへの安心感が生まれ、より安全に排泄をすることが可能です。

トイレットペーパー が存在することによって清潔で快適な日常を手に入れることができています。

トイレットペーパー の略歴

日本では明治中期頃に「落とし紙」と言われる古紙が使われるようになり

現代のトイレットペーパー に近い巻き取りタイプの落とし紙は明治末期以降に使われ始めるようになりました。

工業製品としてのトイレットペーパー は1857年にアメリカで登場し、当初は痔の医療用製品として使われ、一般的には認知されていなかったそうです。

トイレットペーパー の大量生産が始まったのは1857年からですが、実際に一般に普及し始めたのはさらにその後のことです。

最も長い期間でみたとしても私たち人間が工業製品としての現代のようなトイレットペーパー を使い始めてから163年の歴史(1857年〜2020年)ということになります。

人類が誕生し、地球上で生活をし始めてから何年か?というのは諸説ありますので断定はできませんが

日本の歴史で考えると一般的には縄文時代が1万6千年前と言われていますので

縄文時代からの歴史を遡れば近年の「1%の時代」のみトイレットペーパー を使っているということになります。

トイレットペーパー がなくても

日本ではトイレで排泄をしたらトイレットペーパー を使用するのが当たり前。

ということになりますが

世界中を見渡せば、トイレットペーパー を使っていない人がたくさん存在し、

過去を遡れば、人類の歴史上トイレットペーパー が使われていない期間が99%以上存在する。

ということになります。

「トイレットペーパー がなくても人間は生存することができる。」というのは、理解としては分かります。

しかし、実際にトイレットペーパー を使い慣れている私たちに「トイレットペーパー が無くなりました」と言われても受け入れることが難しく、人によってはパニックになるのが現実問題ではないでしょうか。

当たり前のことに気づく

トイレットペーパー がなくなるとどうなるのか?ということをこれ以上お伝えしてもあまり意味がないと思いますので、

ここからは「トイレットペーパー がなくなる」ことで出てきた『恐怖』から学べることを書いていきます。

2020年は「それまで当たり前」だと思っていたことが見事に崩れた1年でした。

それまでの生活や仕事の中で「当たり前」だと思っていたことが、当たり前にできなくなりました。

大きな変化を実体感を持って体験された方も多いと思います。

それまで構築されてきたものが一気に崩壊し、新たな日常を再構築する必要に迫られました。

ここでの気づきは

「当たり前だったことは実は当たり前ではなかった」ということではないです。

 

人と会えるのが当たり前だったのが、

人と会うことが非常に困難となり、難しくなった。

お金と時間さえあれば、世界中どこでも旅行に行けるのは当たり前だったのが、

出入国は制限され、飛行機は飛んでいない。

スーパーやドラッグストアに行けば、欲しいものが手に入ったのが

必要なものが手に入らないこともある。

 

今まで当たり前だと思っていたものが当たり前ではなくなってしまう。

そんな時、人間はどのような反応を起こしたでしょうか?

生命の根源に近いほどに恐怖

様々な「当たり前」が通用しなくなりましたが

例えば、以下の2つを比べた時にどちらの方がより恐怖を感じるでしょうか?

  1. 会社に行かずに在宅で仕事
  2. トイレットペーパー がない

 

人間が生きていく上で必要なものに近い存在であるものほど、

奪われてしまうと人は混乱に陥ってしまいます。

特に「生存欲求」と言われる、

人が安心・安全に生活し、生きていく上で必要なもの、役立っているものが

奪われてしまったり、奪われるかもしれないと感じた時には

大きな混乱を伴って、不安感を超えた恐怖さえも感じてしまうのです。

不安は不明瞭なところからくる

不安の要因となるのは多くの場合

「よくわらかない」不明瞭な事象からやってきます。

先が見えていたり、

どうなるのかよく分かっている状態で不安や恐怖がくることはありません。

今回の事例として取り上げた「トイレットペーパー がなくなる世界」ということであれば

トイレットペーパー が日常的に存在することが当たり前になりすぎてしまい、

「トイレットペーパー がなくなる」という現実が想像できなくなり、

トイレットペーパー が無くなった状態が「よく分からない」ので、

「不安」になり、その不安が増大することで恐怖が訪れます。

不安だけを残してしまった結果

何だかよく分からないもの、不明瞭なものに対して不安になりますが、

その時点で終わらせてしまうと

不安や恐怖だけが残った状態になってしまいます。

例えば、

「トイレットペーパー がなくなると不安だ」という不安が明確に出てきた時に

「トイレットペーパー がなくなるとどうなるのか?」ということはよく考えずに

「トイレットペーパー を手に入れるにはどうしたらいいのか?」ということに意識が向きます。

そして、

「トイレットペーパー が手に入らない現実に苛立ち、トイレに行くことへの恐怖」へと繋がります。

結果的には

トイレに行けない

→排泄ができない

 →生存ができない

というように、死の恐怖や生存の危機を感じてしまうのです。

そして、

トイレットペーパー の流通が回復し、通常通りに供給が始まると

トイレットペーパー が手に入るという安心感と共に

トイレットペーパー が手に入らなくなると感じた時の不安や恐怖は遠のき、忘れ去られてしまいます。

変化した世界も受け入れる

もし、日本人の多くが「トイレットペーパー がなくても生きていけるよね」というような意識を持っていたらどうでしょうか?

Tweetに端を発したデマ情報に踊らせることもなく、

政府が声明を発するような事態にもならなかったかもしれません。

今回の事例が示すように

人間が安心を感じている世界に生きていると

その安心を脅かす、根底から書き換えるような変化が生じた時に

人間は対応することが非常に難しくなってしまいます。

 

「変化、成長したい!」と望んでいたとしても、

根本的な部分では変わりたくない、そのままでいたい。

変化することへの恐怖を私たちは感じています。

 

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この記事を書いた人

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自分らしい生き方をビジネスでも実生活でも実現したい。
そんな思いを実現していく中での気づきを中心に書いています。

経営者としての日々を過ごし、現在は事業を手放し新たな事業へと挑戦中。
以前までは、ビジネスで成功して稼ぐということは「自分を犠牲にすること」と思っていました。
頑張って、頑張って、頑張った末に得られた成果にこそ意味があると思っていたのです。

頑張る世界観の中での生き方から、毎日を楽しみながら、自分らしく稼ぐという道があることを知りました。
まだまだ道半ばではありますが、わたしの経験や気付きをシェアすることで皆さんに少しでもお伝えできるものがあれば嬉しく思います。

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