常識にとらわれず自分らしいクリエイティブな生き方をしたいと思う人は多いのではないでしょうか。
でも、実際は仕事でやらなきゃいけないことに追われたり、忙しい毎日の中でクリエイティブな気持ちになれることが少ないのが現実かもしれません。
小さい頃は自由な発想を持っていたけど、今となってはすっかり忘れてしまったという人もいそうです。
ここでは「あなたにしかできないね」って言われるクリエイティブな人生を送るために必要な心の自由について考えてみたいと思います。
大人になると発想力がなくなる?
大人より子どもの方が自由、常識にとらわれていなくて発想が豊かというのはよく聞きますが「本当にそうだなぁ」と思うことがあります。
私は、小さい頃は何色もある色えんぴつを並び替えてあそんだりしていました。ちょっと品揃えのいい画材屋さんに行くのが好きで綺麗な色の紙やペン、ファイルをいつまでも眺めている子どもでした。
小学生の時に教科別に違う色のファイルを買ってもらったんですけど、勉強してる時間よりファイルを眺めてる時間の方が長かった気がします。笑
そのころは思いついた色の組み合わせや形の組み合わせをノートに無限に描いていたのを覚えています。
でも、大人になるにつれてそんな感覚は思い出せなくなって「やりたいことがない」と自分の感覚すらわからない日々を送るようになりました。
新しい発想が湧いてくる原動力みたいなものがどこかに行ってしまったような感じでした。
自由な発想は安心感と同じ場所にある
新しい発想の原動力は安心感と同じ場所にあります。
安心感とは「自分は今のままでいい」「自分のペースでいい」という自分を認める感覚や「何を考えてもいいし、どんな意見でも認められる」という世界に対する信頼のことです。
その安心感の中で初めて人は自由に物事を考えることができます。
だから安心感は私たちがクリエイティブな人生を描くためになくてはならないものです。
大人になるにつれて新しい発想が湧かなくなるのは、自由さや発想力を失ったのではなく、安心感を感じられなくなってしまったからです。
学校生活で失う安心感
私たちはどこで安心感を失うのでしょうか。
そのひとつは学校です。
私は幼い頃から学校が窮屈に感じていました。幼稚園のときから嫌いでした。
やることが決まっていて本当にやりたいことができなかったり、自分が小さな箱に入れられているような気分になることがよくありました。
幼稚園では本当にしたいことは砂鉄集めや色鉛筆を並べ替えて遊ぶことなのに、歌を歌わなければならなかったり、決まった絵を描かなければならなかったりしました。
だから自分が心が向くものは周りには理解されない感じがして、悲しく感じていました。集団行動が苦手で、小学校も中学・高校も辛かったのを覚えています。
自分が理解されない疎外感や、やらなきゃいけないことをやる無機質な感じに翻弄されて、気がついたら色やデザインを見てワクワクするときの感覚は長いこと忘れてしまっていました。
忘れてしまっている時は、好きなはずなんだけど見てもあまり心が動きませんでした。
自分の感覚がうまくつかめないし「やりたいことがわからない」と心もとなく感じることが多く、無感動でつまらない毎日を過ごしていました。
自分の感覚がわからないと人に流されてしまって、自分の意見や考えがわからなくなることもよくありました。
私と同じように学校が窮屈だと感じていた人は、学校で安心感を失ってしまったかもしれません。
やることを決められている不自由さ
学校ではやるべきことが決まっています。
これが学校で否定感が蓄積され、安心感を感じなくなってしまう理由です。
何か意見があっても「これはこうです」と決められていたら、自分の発想は表現される前に否定されてしまいます。
一日の動きが「これはこうしましょう」と決められている場合も同様です。
「やってみたい」「こうしてみたい」という想いが行動する前に否定されるとやる気もなくなってしまうし、自由な発想は湧かないものです。
今振り返ると、学校で素直な想いが否定され続けたことが積み重なって、いつも心のどこかで「否定されるんじゃないか」とか「こんなの受け入れられないんじゃないか」と感じるようになりました。
否定されるくらいなら自分の感覚に気がつかない方がマシだと感じているかのようでした。
やることが決められている環境では発想が自由であればあるほど無意識に否定感を感じます。
否定感は安心感と真逆の場所にあり、そこに自由な発想は存在できません。
安心感を取り戻す方法
自分らしく生きていきたいと願う私にとって、安心感を失ってしまったことは痛手でした。
気がついたら失っていて「安心感て何?」という状態でした。
でも、今では幼い頃に色鉛筆を並び替えたり、新しい色の組み合わせを考えていた時のワクワク感を思い出すことができるようになりました。
自分の感覚がよくわからなかった頃には見向きもしなかった海外のファッション雑誌は時間を忘れて見てしまうほどです。
試行錯誤する中で、心の自由と安心感を取り戻した今、毎日の自分への思いやりや気遣いが安心感を取り戻すのに重要だと痛感しています。
やりたいことができなくて悲しんでいる自分、人目が気になって、自分のペースで動けない、感覚がつかめなくなってしまう自分への優しさを積み重ねたあるとき、硬くなった心が柔らかく溶けて自由な発想が湧いてくるのを感じる日が来ます。
否定感に気がつくこと
私はまず、安心感を取り戻すために否定感に気がつくことから始めました。
例えば、
- 学校で感じていた時のような窮屈な感覚
- やらなきゃいけないことに翻弄される感覚
- やらなきゃいけないことができない時に感じる、残念な気持ちや焦り
などです。
ちなみに、できない自分に焦りを感じるときは二重否定になっています。
やらなきゃという感覚で自分の本音を否定して、さらに、やらなきゃと思ったことができないことでまた自分を否定しているからです。
否定に気がついても、自分のことを否定的に見なくていいと思います。
私も最初は気がつくたびに「否定するのをやめよう」としていたのですが、途中からそれをやめました。やめようとすることで否定感のある自分を否定していることに気がついたからです。否定に否定を重ねちゃいました。
代わりに否定していることに気がついたら、本当はどうしたいのかに耳を傾けるようにしていきました。
待つ時間が安心感を生み出す
「本当はどうしたいのか」耳を傾けてもわからない時の方が最初は多かったです。でも、わからなくても待ってあげる時間が安心感を生み出したと実感しています。
「早くしなさい!」って言われるよりも、ゆっくり待ってもらえる方が安心できるし、そのままの自分でいいと認められている気分になりますよね。
待ってもらえる時間が「自分は自分でいい」「どんなことを考えても自分の意見でいい」という感覚を少しづつ確実に育てます。
だから優柔不断で決められない自分、うまく言葉にしたり説明できない自分をそっと待ってあげることができたら心の中に安心感が育ってきます。
クリエイティブな人生は安心感から生まれる
クリエイティブでいることは才能ではなく、トレーニングによって生まれるとよく聞きます。それは物事をいろんな方向から考える癖や自分の持つ常識に囚われず、視野を広く持つトレーニングです。
でも、いくら思考力や発想力を鍛えても自由な発想が許されるという安心感と心の自由が欠けるとクリエイティブにはなれません。それがなければ、トレーニングで鍛えたものも表面的な思考で終わってしまいます。
自分を待つことで安心できる空間が心の中に広がったとき、人生は自分らしいクリエイティブなものになります。