- 医食同源は日本で生まれた造語だった
- 中国では薬食同源という
- 本当の意味は「気候風土、食習慣によって病が生まれ、治療するために医術が発展した」
「医食同源」からどういうことを連想しましたか。
四字熟語だから中国の言葉?中国数千年の知恵?というように、中国から伝わってきたもののように思ってはいませんか。
実は、中国の古典に「医食同源」という語は見当たりません。
あれ、どういうこと?と思う方は、どうぞコラムを読んでみてください。
「医食同源」を辞典で調査
岩波四字熟語辞典(岩波書店)、広辞苑(岩波書店)、新明解四字熟語辞典(三省堂)で調べてみました。
釣合のとれた食事は、医療と同様に、体の健康保持には大切だという観点から言ったもの。
岩波四字熟語辞典 (岩波書店、2002年)
中国では、古くから食事を健康の保持・増進の上で重要視しており、薬用効果のある食材なども多く取込んでいる。
そうした「薬食同源」の考え方をもとにして、1970年代ごろから日本で使われるようになった語。
医療と食事とは本質において変わらないという考え。
病気をなおすのも食事をするのも、生命を養い健康を保つためでその本質は同じだということ。
広辞苑 第六版(岩波書店、2008年)
意味)食事に注意することが病気を予防する最善の策であるということ。
また、日常の食生活も医療に通じるということ。
補説)病気を治す薬と食べ物とは、ともに生命を養い保つためのもので、本来起源を同じくするものであるということから。「医食」は医薬と食事、「同源」は起源が同じ意。
新明解四字熟語辞典 第二版(三省堂、2013年)
各辞典とも言い回しが異なりますね。
ポイントをまとめると次のようになります。
医食同源・・・食べることと医療の起源や本質は同じ。
ところで、最近、私はこんな風に感じています。
医食同源は「食で病気を治す」ことと思っている人が多くない?
医食同源は日本発祥だった
真柳(2016)によると「医食同源」は「NHKきょうの料理」(日本放送協会、1972年9月号)の特集「40歳からの食事」で新居裕久医師が、香港の「薬食同源」という考えを紹介するにあたり、「薬」では化学薬品と誤解されるので「医」に変えて「医食同源」としたということです。
-文献-
真柳誠 2016 「医食同源の由来:古典籍にみる論理と歴史」『漢方と最新治療』25巻3号183-188頁
薬食同源を基に日本で作られた造語。和製漢語だったんだ!
薬食同源は古代中国生まれ
では、医食同源の基となった薬食同源は何でしょうか。
その答えは、中国最古の医学書「黄帝内経素問(こうていだいけいそもん)」にあります。
中国の皇帝である黄帝が質問し岐伯(きはく)らが答えるという問答形式で、中国を東西南北と中央の5つの地方に分け、それぞれの風土的特色と病気、治療について書かれています。
この記述からうかがえるのは
気候風土、食習慣によって病が生まれ、治療するために医術が発展した
以下、黄帝内経素問の内容をまとめました。
中国の南方
南方は、熱帯で気温が高く、穀物がよく実ります。
米は熱帯原産で、南方では生育は早く、収量が高いです。
日本でも気温の高い高知、宮崎、鹿児島、沖縄では二期作が行われていますね。
南方では主に穀物を食べて生活しますが、気温が高いため汗をよくかき、ミネラル分が奪われるため、筋肉硬直したり痙攣しやすくなります。
そこで鍼で筋肉を緩める治療法が発達しました。
中国の北方
北方は、高原地帯で寒冷であるため、穀物の生育も十分でなく、野菜や果物の生産もままなりません。
そのため、牛、馬、羊などを飼う生活となりました。
内蒙古(モンゴル)の遊牧民などがそうですね。
食習慣は家畜や家畜の乳などの肉食が主となり、内臓が冷え、お腹が張るなどの病気になるので、灸や焼針といった熱を使う治療法が発達しました。
中国の東方
東方は、東シナ海に面し、海や河川が流れ込む所なので、食習慣は魚や海草が多く、塩からい食事になりがちです。
交通手段として船の利用が増え、運動不足で足が衰える傾向にありました。
結果、癰(よう)や瘍(よう)という細菌感染性のできものや腫瘍に罹りやすくなります。
そこで、砭石(へんせき)という現在の外科手術のような治療法が発達しました。
中国の西方
西方は、チベットに連なる山岳地帯で鉱物資源が豊かで、砂や石が多い所です。
風がよく吹き、気候風土は荒々しいので、人々は丘陵に住み毛織物を着ていました。
獣肉を食するため脂ぎり太りがちで、動植物を通して摂取した鉱物毒による内科的な病気が生まれました。
そこで、毒に対して薬という毒を使い治療する薬草療法(いわゆる漢方)が発達しました。
この薬は湯液(とうえき)といわれ、漢方で用いられる煎じ薬のことを指します。
中国の中央
中央は、都がおかれる都市部にあたり、東西南北の四方から食べ物が集まってきます。
古代中国も現代も、都市部では衣食住が豊かで、食べ過ぎと運動不足になりがちです。
これを治療する方法として、マッサージのような導引按矯(どういんあんきょう)が発達しました。
薬草療法である漢方
中国の伝承医学は、気候風土や食習慣によって病気になったのを治療するために生まれました。
そのうちのひとつである薬草療法は、毒を薬という毒をもって制する治療法です。
毒を毒で制するのが漢方
漢方の本質は
「食べ物で病気を治す」という発想ではなく、「食によって病気になったのを毒(薬)で治す」という視点です。
食べ物と毒(薬)との間に境界線を引くのは難しく、使い方次第といった面が多々あります。
自然資源の持つ力をどちらの方向性で使うのかで変わってくるのです。
多くの人が知っている葛根湯(かっこんとう)を例に見てみましょう。
例)葛根湯
葛根は字の通り、葛(くず)の根で、食べ物としては葛粉に加工してでんぷんを食します。
葛湯や葛餅ですね。
こちらは日々の食の営みの中にあります。
葛根は、漢方薬の葛根湯に含まれています。
風邪の引き始めによく使われる漢方薬ですね。
こちらは治療目的です。
葛根湯は、効能効果を最大限引き出すために製法や使い方が、中国古典「傷寒論(しょうかんろん)」で厳密に決められています。
傷寒論は漢方のバイブルです。
太陽病、項背強りて几几(しゅしゅ)、汗無くして悪風するは、葛根湯之を主る。
葛根四両 麻黄三両節を去る 桂枝二両皮を去る 生姜三両切る 甘草二両炙る 芍薬二両 大棗十二枚つんざく
右七味、水一斗を以って、先づ麻黄、葛根を煮て、二升を減じ、白沫を去り、諸薬を内(い)れ、煮て三升を取り、滓(かす)を去り、一升を温服す。
覆いて微似汗を取る。餘(よ)は桂枝法の如し。将息及び、禁忌は諸湯皆此れに倣う。
校正宋版傷寒論
食養生を追究した薬膳学
湯液(いわゆる漢方薬)は、風土気候、食習慣から生まれた病気の治療に起源があり、本質はあくまでも治療です。
これに対し、食養生に着目し、追究した学問は薬膳学となりました。
薬膳学も「健康維持、体質改善、病気治療」を内包しており、健康を目指す点では漢方と同じです。
自然資源が持つはたらきを薬の方向性で活かすのか、食の方向性で活かすかの違いだと私は考えています。
薬膳については今後コラムを書いていきたいと思います。
まとめ
- 「医食同源」という語は、中国の「薬食同源」を基にした和製漢語でした。
- 古代中国では、気候風土や食習慣と病気の関係がわかっていました。
- 治療法のひとつとして薬草療法(いわゆる漢方薬)が生まれ、一方、食として追究していく中で薬膳学が生まれました。
- これらから「医食同源」の本当の意味は「気候風土、食習慣によって病が生まれ、治療するために医術が発展した」ということになります。