「好き」が真ん中にある人生の作り方。やりたいことがわからなかった私が答えを見つけるまで。

「何がしたいんだろう」

大学生の時、就職活動がはじまっていよいよ決断を迫られました。どんな道に進むのか、何を大切にしたいのか、決めなくてはなりませんでした。

「でも、決められない。」

「いくら考えても、わからない。」

インターンに行っても、誰に話を聞いても、答えが見えませんでした。

仕事内容を見ていいかもしれないと思っても、それをやる意義とかいい面を考えているうちに、それが取ってつけた理由のように感じてしまうのです。

一生懸命、言葉だけ並べている感じでした。

辻褄を合わせているような気持ちで苦しくもありました。

たくさんの選択肢を並べてみては、選ぶことができずに迷って、決めようとして、また迷って…を繰り返し、結局、私はどこにも就職しませんでした。

あれから紆余曲折あって、私はいま「好き」がたくさんある生活をしています。

もちろん仕事にも、好きが詰まっています。好きなことしかしてないんじゃないかと思います。

今日は就職して会社員になるわけでもなく、大学院で研究するわけでもなく、フリーターにもならず…

よくある社会のレールを外れてしまった、私の答え探しの旅をちょっと振り返ってみようと思います。

「職業欄:空欄」で始まった私のキャリア

就職活動で答えを見つけられなかった私は、大学院に進学を決めました。学ぶのは楽しかったからです。

それ以外に理由はありませんでした。

当然、将来のヴィジョンもありませんでした。(ちーん。笑)

そんな様子だったので、興味のあることは積極的にやってみました。

まさに手当たり次第、思いつく限り、といった感じでした。

その延長で、大学院を休学してアメリカに行きました。

最初はちゃんと大学院に戻るつもりでした。そのあとは就職活動して、会社員になるつもりだったのです。

でもアメリカに行って一年後、大学院には戻りませんでした。

退学してしまいました。

「学校で学ぶ時期は終わったなぁ」と思ったからでした。

退学した後は、あたりまえだけど、学生でなくなってしまいました。

しかも会社員にもならなくて、職業欄に書くことがなくなっちゃいました。

そんな私は社会の中で何者でもありませんでした。

それが学生生活を終えて、私の社会人?としてのスタートでした。

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あれ?着地点が見つからない。

それから、北は北海道、南は沖縄まで、2、3ヶ月で移動しながら生活しました。中には1、2年滞在した場所もありました。

よく「どうやって生活してたの?」って聞かれるんですけど、それは私にもよくわかりません。笑

あんまり計画は立てたことがなくて、というか、全然立てたことなくて、その場でいろいろなんとかしてました。なんとかなるもんです。

特に、自然を感じる場所を好んで選びました。

ある時は北アルプスの山小屋で働きました。

Wi-Fiやテレビはもちろんなく、水道も沢から引いてくるホースのみ、大自然の中で毎日、宿のご飯を作っていました。

近くに温泉が沸いていて、かなり贅沢でした。

でも、登山に関わる何かが好きだったわけではありませんでした。

「自然の中なら楽しいはず」「きっと自分らしくいられる!」と思ったけど違いました。

またある時は、沖縄の絵本に出てきそうな石窯パン屋さんで働きました。

ランチを仕込んだり、お菓子を担当させてもらったり、自分のお菓子をお店でおいてもらったり、やりたいことやらせてもらいました。


そんな風に素敵なお店で働いたら満足するかというと、それも違いました。

北海道で甜菜大根の苗を植えたり、薄荷の雑草をとっていたこともありましたが農家になりたいわけではありませんでした。

他にも色々試してみたものの、ピンとくるものはありませんでした。

正直にいうと好きって気持ちがどんな気持ちなのか検討がつきませんでした。だから嫌じゃないことをやってみて好きになれるか試していたという方が正確かもしれません。

気づけば、「色々試せば見つかるはず!」と思っていた答えが見つからず、着地点が見えない日々を過ごしていました。

この頃を知っている人に「あの頃はどこまで行っちゃうんだろう?って思ってたよ。」って言われたくらいです。笑


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だんだん大きくなる違和感

代わりに、私の中に鮮明にあったのは違和感でした。

「なんか違う」「もっと違う自分で、違う人生があるはず」そんな気持ちでした。

いつも、ここではないどこかにリアリティを感じていました。

どこへ旅しても、別の場所にいる方が正解な気がしてしまいました。

日本にいるときはアメリカに行けば答えがあるような、人生が変わるような気がしていました。

「場所が変わったら、あたらしい自分になれそう」

そう、期待しました。

でも実際はそんなこともなく、アメリカに行ったら行ったで他の国にリアリティを感じました。

どこへ行っても、何をしても「これじゃないんだよなぁ」って感じでした。

どんな仕事もやる前はいいのですが、やってみると「ずっと続けていきたいことじゃないなぁ」と思ってしまったのです。

「今を生きるって難しい・・・」そんな気分でした。

答えが見つからなかった理由

私が答えを見つけられなかった理由はいつも何かに囚われていたからでした。

例えばそれは、周りの目でした。

周りにどう思われるかがいつも気がかりでした。

「周りに認められるような人、できる人でいたい」その気持ちが私を焦らせました。

早くやりたいことを見つけて形にしないと恥ずかしい気がしました。こんな人です、こんなことがやりたいですって説明できないといけない気分でした。

社会にある観念にも、どこか囚われていたと思います。

自由にクリエイティブに考えることができなくなっていました。

よくある幸せの形に囚われて、自分にとっての幸せがわからなくなってしまう感じでしょうか。「その時はいいと思って、周りがいいというものを買ってみたけど、本当に欲しいものじゃなかった」みたいな…。自分の「好き」が真ん中にない状態です。

私は自由に動き回っているのに、いろんなことに囚われて不自由でした。

自分の本当の気持ちがよくわからなくなっていました。

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本当の気持ちを宝箱に集めてみたら

当時の私はよく、好きなことをしながら生きている人を見て「どうやったらこんな風に生きられるんだろう?」って思っていました。

いいなぁと思う人を真似てみたところで、そこに自分の本当の気持ちがなかったら「なんか違う」になってしまうのは、それまでの経験からわかっていました。

だから、やっぱり「自分が好きなことを見つけないとあんまり意味ないなぁ」って思っていました。羨ましく感じる人たちはみんな、自分なりの「好き」を持っていて、自分の価値観があるように見えたからです。

そのことに気がついた時、まずは本音を大切にしてみようと心に決めました。

手探りだったけど、思ったことを大切にして、いいなぁと思った気持ちをちゃんと味わうようにしました。その感覚を心の宝箱に入れて大切にしました。

すぐに消えて無くなりそうな、微かなものばっかりで、本当に不安しかなかったです。笑

でも、振り返ると、心許ないながらも自分の内側にある本音を集めたことが、今の好きなことがたくさんある生活を作っています。

キッチンで気がついた、自分らしい人生の描き方

そういえば、こんなことがありました。

お菓子屋さんで新商品の開発をしていたときのことです。

試作していたのは、ショートケーキでした。出来上がったケーキは美味しくて、周りの評判も良かったです。

でも「なんか違う」と納得できない自分がいました。

どことなく虚しくて、満足感がありませんでした。人生の着地点が見つからない心許なさと似たようなものを感じました。

私は、本当はショートケーキなら洋梨とキャラメルのショートケーキとか、栗を使ったショートケーキとかが作りたかったんです。フルーツも、ケーキなのかフルーツなのかわかんないくらい、いっぱい入れたかったです。

でも、よくある「苺のショートケーキ」の構成に囚われてしまって、自分の本当に作りたいものを作れませんでした。

だから側から見るといい商品でも、あんまり好きだと思えませんでした。

「いいじゃん!」っていくら言われても「そうかなぁ」「なんか違うんだけど」と同意できませんでした。

人生ってこれと一緒なんだと思います。

自分の価値観を大切にしないと、一見幸せそうで、完璧で、何も困ってなかったとしても満たされることはありません。

人目を気にせず、世の中の「こうすべき」も「ふつう」も忘れて、自分の気持ちに素直になることができたら、きっと人生もお菓子も、自分だけの「好き」が詰まったお気に入りになるのです。

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この記事を書いた人

Shioriのアバター Shiori ヒーラー/感情カウンセラー/ヴィーガンパティシエ

何をやっても「なんか違う」
自分の道を見つけられずにいた私が、本当の自分に出会うまでに体験したことや気づいたことを書いています。

ちょっと長いプロフィールはこちらから
https://atelier-umi.net/mystory/

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